前回の続きですが、日本語は難しいもので「結構」の使い方は、いろいろ難しいものなのかもしれません。同じ形容動詞でも、許諾あるいは不要の意味で使う時は、基本的には上から目線でも、欠点がなく素晴らしいという使い方は、そうではないとされますが?

 たしかに、「もう一服如何ですか」という言葉に対し「いえ、もう結構で御座います」と言うのは、御座いますが付いているから、丁寧語だろうと主張する方も居るでしょうが、何となく素っ気ない感じの挨拶に聞こえても不思議ない、私は「いえ、もう充分に頂戴いたしました」などと挨拶するし、皆さんも大抵はそんな風になさっている様です。辞書にも用例に引かれる「結構なお点前」は、素人も聞きかじる茶の湯の代表的な褒め言葉ですが、実際には、茶事であれ、大寄せ茶会であれ、この言葉を使う機会はないものです。大寄せでお点前に言及するチャンスはまず無いし、茶事で亭主に「結構なお点前で」と、殊更褒めるのも、それこそ上から目線のような気がします。本当に、滅多に見られないような美しい所作に感心したら、自然と紋切り型でない褒め言葉が出るはずでしょう。紋切り型といえば、両器拝見の時「大変結構に拝見いたしました。お薄器のお形は?」という挨拶、これも大寄せ茶会では、今のやり方では使う機会がないものですが、「結構に」というのは、上から目線になるかどうか、「有難く拝見」も何だか大仰で、やはり使いたくなるのかもしれません。

 原点に戻って、石塚先生の「『結構』は、上から目線の言葉だから、茶席で使ってはいけない」というご発言は、何でもかんでも使うなとかいう事ではなく、真意は別にあるのでしょう。先生が「茶人のたしなみ 和歌俳句に学ぶ」で説かれていることは、茶の湯の世界に、和歌俳句の世界の持つ風雅な精神、その文学表現の豊かさ、雅びと機知を、もっと取り入れるべきだ、それによって茶の湯の世界を更に豊かな世界に出来る、それは、床に和歌や俳句を掛けるというような事だけではなく、茶人が和歌俳句を学ぶ事で、茶の湯の趣きもふくらみ、茶席での主客の表現も豊かになる。そもそも一座建立という趣旨で、主客で作り上げる交歓の場の筈の茶席が、「結構な」や「結構に」という紋切り型の挨拶だけが飛び交うのは如何なものかという意味で、一つの警鐘を鳴らされただけで、「結構なお水指」というような褒め言葉を絶対使うなという事ではなく、茶人の表現力を豊かにという思いと、私は勝手に推察しています。「結構茶人に結構なし」と同じ戒めでしょう。実際、柴又の寅さんの得意文句の「結構毛だらけ猫灰だらけ」同様、あまり乱発せず、要所でピシッと決めるのがいいかもね。

  萍亭主