懐石料理の食材の変遷はともあれ、品数や様式の変化はどうなのでしょう。

 現在の懐石は、流儀によって、進行の形式などは多少違うものの、出される料理は同一と言ってよいと思います。飯と酒、一汁三菜、つまり味噌汁、向付、煮物椀、焼物、この他に小吸物、八寸と、香の物、湯(湯桶)です。学者によっては、菓子(主菓子)までが懐石の内という人もいるそうですが、それはどうでもいい。余談ですが、香の物は菜じゃないの、一汁四菜じゃないのかと、初心の頃、理屈をこねたら、先輩から、香の物は、必ず飯に付く付属品で、お菜には入らんのだと言われました。一汁は、使う味噌は何であれ、味噌汁というのは決まりで、よほどひねくれない限り、他の汁は出ない。納豆汁が出されたと聞いたことはありますが。向付は向とも書き「お向う」などと呼ぶ人もいて、古い記録に膾(なます)とあれば、これのことです。膾の語源や用語の解釈は、いくつか説があり、酢の物も含めるという説もあるようですが、難しく考えずに、刺身と思っていいでしょう。実際には干物とか、精進だと豆腐とか茄子しぎ焼など出る時もある。煮物碗は、椀盛とも、単に椀とも呼ばれ、これがメインのおかずで、現在は、汁(多くは清汁)仕立ての煮物です。安土、桃山時代や江戸前期の会記には、これが汁と書かれ、江戸後期になると、汁は味噌汁のことになります。そして今は、煮物碗という漆器の椀を使うのが当たり前ですが、江戸時代は、容器は一定していなかったようで、平皿とか鉢に盛られた場合も多く、もしかして、今の焼物同様、取り回しだったのかと思われる記述もあり、その場合は、中身の調理法は汁仕立てでないのかもしれません。焼物は、昔の会記には、焼物と特に記していない場合もあります。八寸は、取肴とも言い、原則、山海の二種を盛るわけですが、これも、木地の八寸に盛るようになったのは、江戸末期からかも知れません。「不白会記」に、取肴と、別に八寸の記載があり、その中身はどうも焼物とか別の料理のようだからで、この頃の八寸が、今のものを指すと思えないからです。小吸物は、箸洗とも、一口椀とも称されますが、江戸後期からの、吸物と表記されるのがこれですが、この中身が、どうも現在のものとは大分違います。まあ、その話はまたとして。以上の定番以外にご馳走として出す品を、預け鉢、薦め鉢、強肴などと言い、中身は、炊き合わせ、酢の物、希に揚げ物とか珍味ですが、預け鉢•薦め鉢は、焼物の後に出すご飯のおかずでで、強肴は八寸の後(亭主相伴中という説も)、更に酒を勧めるためにお預け徳利と一緒に出す、要は酒のつまみを指すと区別すべきという、やかましい茶人もおられます。

 さて、こういう現在の懐石は、明治以降の「松翁茶会記」「八百善茶会記」「東都茶会記」などでは、汁、向付、椀、焼物、吸物、八寸、香の物(出された場合は預け鉢に当たるものも)が記載されて、現在と比べやすい。東都茶会記などは、器物重視の観点から、用器も記載されています。しかし、江戸時代以前の会記は、それほど定型がないので、比べにくい。しかし、見てみると、どうも、中身も豊富で、品数も多いんじゃないかと、思える例もあります。今と昔の懐石について、次回も。

   萍亭主