今の懐石に、何故、肉料理(獣肉)が用いられないのかという疑問から、昔の懐石はどうだったのか、ちょっと見てみたら、今より、ある意味、食材の種類は多かったんじゃないか、ことに鳥類は、という感触になりました。
しつこいようですが、もう少し探ってみるかと、会記を漁ってみました。江戸千家の流祖川上不白の生誕三百年を記念して、一昨年末に「川上不白茶会記集」という本が、池之端の江戸千家から刊行されています。長命だった川上不白は、生涯にどのくらいの数の茶会を行い、また招かれたやら、見当もつきませんが、その中の、ほんの一部の記録ではありますが、自会記と他会記が残されていたのを集めた本です。今まで見てきた桃山時代の利休の懐石や、江戸時代前期の江岑宗左の遭遇した懐石と、どう違うかなと、本をめくったのですが、何しろ、800頁を越す分量で、内容も京都での茶会、江戸での茶会を取り混ぜ、1742年から1806年までの長い間の茶会が、ポツポツと、しかも順序もバラバラに収録されているのですから、素人がおいそれと分析出来るものでもなく、現段階では、ちらっと読んだ時に感じた印象的な感想でしかなく、間違いもあるかもという事をご承知下さい。
拘っている肉料理で言うと、流石に獣肉料理は一件もないようです。鳥料理としては、鴨が一番多く使われ、雁もまあ出てきます。鴨も雁も不白自身も使っていますが、初期の茶会に多いようです。一度だけ「焼き鳥きじ」というのを出しているのが目を引きます。どちらかと言うと、鴨は、大名など武士階級に招かれた時、多く出ているようです。鳥、塩鳥と表記された鶏だと思われる料理も、鴨よりは少ないですが、使われています。鶴は、不白自身は一度も使わず、膳所藩主本多家、盛岡の南部家で吸い物をご馳走になっていて、鶴は、この時代には完全に大名料理なのでしょう。能の宝生流の家元、宝生九郎にも二度、鶴の吸い物を御馳走になっているのは、加賀の殿様や諸大名と付き合いの多い家で、手に入りやすかったのかもしれません。珍しい品では、青鷺の煮物を、豊後竹田藩主の中川家で、二度味わっています。
鰻は京都の茶会では一度でているようですが、江戸での茶会には登場しません。利休の頃にはよく使われた鯉も、ほとんど登場せず、京都で一、二度、江戸では鯉こくが一回出るだけです。江戸の茶会に、よく見えるのが、白魚で、やはり隅田川の名物なんだなと思わせますし、鱚(キス)も多く登場するのが江戸らしく、鮟鱇も一度顔を見せています。鰹のたたきも何度か使われていますが、名物の初鰹の時期ではなく、皆、十月頃の戻り鰹です。値の高い初鰹は、侘茶向きではないのかもしれません。
さて、今の懐石と比べると、不白の頃の懐石は、利休・江岑の時代よりは、グッと今に近いようにも思えるのですが、それでも、読み解くのも難しく、今ほど定型的ではなかったように見えます。今の形に定着したのは、もっと遅いのかもしれません。次は、その辺のことを。
萍亭主