先日、4月14日のブログで、利休の曾孫、江岑宗左の残した茶会記に、ある会の懐石で、「汁 かわうそ」という料理を振る舞われたと記録がある事をご紹介し、このかわうそって、あの獺?食べられるの?食べる習慣はあったのか?と、疑問を呈したのですが、ブログをご覧頂いた方から、ご教示を頂きましたので、ご報告します。

 ご教示に依れば、この「かわうそ」は、やはり、あの獺で、昔は食べる習慣があったんですね。びっくりしました!

 天文18年(1549)、当時、安芸(広島)の豪族であった毛利元就が、主筋である周防山口の大内義隆を表敬訪問した時、宴会で出された料理に、獺が出されたことが、「元就公山口御下向之節饗応次第」という記録に「獺に大こん入」「川獺ごぼう六ふ入」という献立があるそうです。また、毛利家の家臣玉木吉保の書いた「身自鏡」という覚書に、獺の調理法があり「つまには大根や牛蒡がいい、山椒も用いていいが、生姜や胡椒はいけない」とあるそうです。この書は元和3年(1617)という江戸時代初期に書かれており、寛永20年(1643)の「料理大全」にも、吸物や焼物としての獺の調理法があるそうです。この本には、鹿、狸、猪、兎、熊などのジビエ料理もあるそうですが、これらが食べられていたというのは知っていましたが、獺が食べられていたとは全く知りませんでした。そして、こんな記録もあるそうです。永禄5年(1562)、毛利元就の三男で、猛将として知られる吉川元春は、胃腸病にかかり、父の元就に獺の肉を所望、ところが元就は手元になく、長男隆元に問い合わせ、あまり鮮度は良くないが、塩漬ならばあるから送っておくという返事を貰っているというのです。体調が良くないから、獣肉を食べるというのは、江戸時代を通じての慣習で、例えば、江戸では今も続く両国の「ももんじや」をはじめ、獣肉店は結構あり、ここに行くときは、「薬喰い」という通称で、滋養強精のために食べるという言い訳(?)をつけたものです。正徳4年(1714)に出た「当流説用料理大全」に、獺は「熱病に吉」とあるそうです。これらを見ると江戸中期までは確実に、獺は食べられていたようです。

 そして、ご覧のように、毛利家に絡む記録が多く、江岑宗左が獺をご馳走になったのも、長府藩主毛利秀元(元就の曾孫)である事を見ると、獺料理は、今の山口県広島県地方の特産だったのではないでしょうか。

 いずれにせよ、茶の湯の懐石に獣肉が使われた稀有な例であることは、確実になったことで、この他に、獣肉を使った例があるのかどうか、専門家でないので、おぼつかないですが、今後もぼつぼつ会記を漁ってみようと思います。

 ご教示下さったtempera-artさん、有難う御座いました。

   明日はブログ休みます。

      萍亭主