今場所はコロナ禍で、大相撲も横綱白鵬をはじめ多勢の休場者が出て、何か波乱の場所もようです。

 漫然とテレビ観戦していて、ふと思い出しました。相撲と茶の湯の関わりです。

まあ、全く関わりがないと言えばないのですが、ほんのちょっとの関わりを思い出したので無駄話を。

 茶道史に詳しい方は、相撲と茶の湯というと、八十嶋富五郎という力士を思い浮かべるのではないでしょうか。八十嶋は江戸時代後期の力士で、文政2年(1819)に現役のまま死去した、しかも、それが六十歳という現役としては史上最高齢での死亡で、その面でも有名な力士です。強い相撲取りではなく、幕内と二段目以下(現在の十両以下)を行ったり来たりの力でしたが、風流人で、俳諧と茶の湯を好み、茶の湯は川上不白の弟子で、東西庵と名乗ったと言います。上半身裸で、炉に向かい、点前をしている浮世絵が、両国の相撲博物館に収蔵されていて、これが「図録茶道史」をはじめ、江戸時代の茶の湯を語る本には、よく引かれます。江戸時代の茶の湯が、いかにさまざまな階級に広がっていたか、不白の茶が、いかに一般的だったかの証左として引用されるわけです。八十嶋が、どんな茶の湯をしたか、会記とか記録があるわけではないので詳細は分かりません。ただ、点茶中、誤って茶碗を欠いてしまい「点てる茶は四十八手の他なればついに茶碗の端を欠くらん」という狂歌を詠んで見せ、それを書いた扇面が、やはり相撲博物館に残っています。ちなみに「はしをかくらん」は「恥をかくらん」を重ねています。これは、前述のようにご存知の方も多いと思いますが、他に相撲と茶の湯でこんな話があるのは、あまり知られていないようです。明治初期の横綱境川浪右衛門についてです。境川は、勝ち味が遅く守りに強いところはありましたが、強豪で、寛容で鷹揚な性格から、住居の本所一つ目にちなみ「一つ目の大名大関」と呼ばれ、明治天皇の天覧相撲の予定に合わせ、第十四代横綱を授与されました。引退後は相撲長(今の相撲協会理事長)を務めるなど、順調でしたが、私生活は不幸で、師匠の娘の婿になったのですが、その妻が悪女で、浪費、不倫を繰り返し、見かねた境川の弟子が、不倫相手の歌舞伎役者を殺すという事件なども起き、世間を騒がせました。それでも境川は黙って、趣味の風流に耽ったといいます。その趣味の一つが茶の湯で、故郷の千葉県市川の生家には、彼の建てた茶室が現存しているといいます。これは昭和47年に出た「大相撲名力士100選」という本に書かれているのですが、私がこれを読み、調べてみようと思った頃には、著者も歿し、市川市役所などに問い合わせても分かりませんでした。宅地化、現代化の波に呑まれたのでしょう。力士の茶室など、明治の遺構として面白かったろうにと残念です。平成以降、力士の体格は巨大化して、今の力士は躙口など潜れそうもありませんが、身長170センチ、体重128キロだったという境川の茶室には、躙口はあったのかしらと、つまらぬことを考えます。

   萍亭主