開炉の季節を迎えて、我が家もとりあえず飾り付け。まだ、火も水も入れていない状態で恐縮ですが、準備段階を見て頂くということで、例によって図々しく、ネットでご招待。お笑いください。
床の間飾り。
軸は、大徳寺441世住職の法巌紹典筆「喫茶去」。お馴染みの趙州和尚の禅語。法巌は江戸後期の僧侶で、茶の湯の世界では、同時代の宙宝宗宇や大綱宗彦ほどポピュラーではありませんが、朝廷が優れた禅僧に贈る禅師号を、大徳寺では最後に受けた人で、円機明道禅師といいました。天保8年(1837)に歿しています。
花は榛(はしばみ)と西王母。白玉が咲かなかったので。花入は古銅、獅子耳。和物だと思いますが。
香合は、織部はじき。開炉の季節の定番ですが、これは勿論、桃山、江戸初期という品ではなく、いわゆる再興織部、幕末に瀬戸で焼かれたものでしょう。
下は点前座の様子。
上は水指前の飾り。
釜は、山口浄雄の織部好み真形釜。箱書に、宣徳蓋、鬼面釻付で、大正三年秋の作とあります。「大日本釜師長故名越昌晴門人」と誇らしげに書いているのが目に付きます。
水指は真塗。蓋裏に千鳥と中に流水の蒔絵があります。作は永田習水。明治初期に亡くなった初代ではなく、その後を継いだ、昭和初期まで活躍した人のものかと。先代が師匠から譲り受けたらしいのですが。
薄器は、朱中次。藪内流の明治時代の職方、遠坂宗仙。藪内流の誰かの好みものかも知れませんが、箱書は特になし。
茶杓は、大徳寺427世住職の剛堂宗健作。法巌紹典の少し先輩で、天保6年(1835)歿。銘「清茶七椀得仙齢」は、廬同の茶歌からヒントを得た銘でしょう。
茶碗は、御本半使。御本としては、遅く元禄享保の頃(18世紀前半)渡ってきた品だろうということです。
蓋置青竹、建水曲で、特に写真はありません。
街の茶家の開炉は、こんなもの。どうも、ご覧頂いて恐縮で御座いました。有難う御座います。
明日はブログを休みます。
萍亭主












