茶の湯を合理性という面だけから考えれば、現在の茶の湯の道具の中で、もっとも不要なものは煙草盆かも知れません。
以前、若い子に「何故、お茶で煙草盆出すんですか?」と無邪気に訊かれて、とっさに「そりゃ、おもてなしのためですよ」と、言い抜けましたが、考えて見ると、若い子の疑問も無理じゃありません。実際、それで喫煙もしない現状ですものね。そもそも、煙草を茶席で薦めるようになったのは、やはり、御馳走のためではありましょう。慶長年間頃(17世期初頭)煙草が渡来してから、徳川幕府の喫煙禁止令が緩やかになる、四代将軍の頃(17世期半ば)までは、茶席に煙草は姿を現さなかったでしょうが、やがて、最初は手に入り難い珍しいものだから、馳走のために出され、やがて喫煙が流行し、日常の生活習慣の中に入った時に、寛ぎのためという実用性から、茶席に出されるようになった。茶事に呼ばれて、まず寄付で歩いて来た疲れ休みのまず一服、懐石の後、腰掛で食後の一服、濃茶の緊張感から開放されて、薄茶席での一服という構図になったのでしょう。しかし、今や、公共の場や大方の店舗では禁煙、分煙をしない店もほとんどない時代、茶席じゃ何故煙草盆など出していいんんだと理屈っぽい人に詰め寄られそうです。
だいたい、今の煙草盆は、ご承知のように、昔ながらの刻み煙草用のもの、だから煙管もつくし、灰吹も、それ用のものですが、考えてみると、明治10年代に紙巻煙草が日本で登場して、明治30年代にかなりの流行になり、大正年代末には、刻み煙草と完全にシェアが逆転、以後、その差はどんどん開いて、現在、煙管での喫煙は、生では歌舞伎の舞台でしか見られない状態なのに、茶の湯では旧態依然なのは、茶の湯外の世界から見れば不思議だろうと思います。つまり、今や煙草盆は、軸、花入と同様、鑑賞道具であって、実用の道具ではないと言えます。実用機能としては、寄付きや、大寄せの薄茶席で、正客の座るべき位置を明示するという人もいますが、なくたって構わない。それに、案外、大寄せの茶会で、煙草盆について挨拶する正客は少ないものです。いわんや多勢の連客で、点前座や両器の拝見には、わっと群がっても、正客席の煙草盆に目をくれる人は、まず居ません。茶事でさえ、寄付きや薄茶席の煙草盆は挨拶されても、腰掛の煙草盆は忘れられることが多い。つまり、鑑賞用としても、中途半端な位置にあります。
実際、茶事の折に、三つの煙草盆を用意しなくてはならないのは、当日の手間も含めて、かなりの面倒臭さを伴います。でも、大方の茶人が、茶事というと、ちゃんと準備するのは、家元の教則本が、こうやるものだと教えているからで、合理性という事から考えたら、現代の生活状況から鑑みて、煙草盆は使用しなくていいという指導者が出て来てもよいとも思いますが、それがないのが茶の湯世界なのかも知れません。勿論、茶の湯が合理性だけで成り立っているわけでないのは承知していますし、私は個人的には煙草盆や特に火入が大好き人間で、収集も嫌いじゃないし、煙草盆の廃絶を願っているわけでもありませんが、こういう疑問を抱く方が全くないのかなあと思うだけです。見聞の狭い私ですから、実はもう、煙草盆の使用はやめているという茶家もおありかも知れませんし、大寄せ茶会などでも、煙草盆を用意されない席が、昔に比べて増えている気はします。もっとも、その中に、例の火を使えない茶席なので、煙草盆を用意しても火入の火を入れられないからという理由もあったりしましたが。続きは次回に。
萍亭主