誰も知らない話の途中ですが、ちょっと横道を。
箱根に小旅行して、強羅の白雲洞茶苑に行って来ました。まだ茶の湯に首を突っ込んだばかりの昔、一度見学して以来行ったことがなく、うろ覚えのままなので再訪してみたわけです。
白雲洞は、現在は強羅公園の中にあり、当初は益田鈍翁が、大正5年に仰木魯堂に設計建築させ、大正11年原三渓に無償で贈与、三渓が昭和14年に歿した後、松永耳庵(安左衛門)に贈られました。近代の大経済人であり大数寄者三人に縁があると言うので有名ですが、普通、平坦地に建てられることの多い茶室を、岩崖上に立てた、田舎家風の建築です。
まず門を入り右手の腰掛(貴人座だけ別になった様式)を見て、険しく不規則な石段を上ると、左に蹲(つくばい)があり、流れの蹲とあり、湧水なのでしょう。
右に二畳の寄付と四畳半の待合が隣接した一棟があります。四畳半の方は壁床で、一部の畳が斜めに切り取られています。庇に使った木の曲がりに合わせたものと説明がありますが?小さい長方形の石炉があって、鉄瓶でも載せればカッコよさそうです。
ここから階段で主屋に行けますが、見学は外の石段をさらに登って、直接母屋の縁側から上がります。
縁側続きが主間の白雲洞。
壁床で、畳は縁無しの坊主畳、天井を張らずに大きな垂木を見せ、炉も三尺四方の囲炉裏で、茶の湯の炉ではありません。田舎家風情満点ですが、これが何故か、ここのパンフレットには「八畳敷の茶室」とあるのです。どう考えたって、六畳台目向板です(新版茶道大辞典もそう記載しています)。次の間を足したら、八畳じゃおさまりません。炉が茶の炉じゃないので、難しい所ですが、知新庵の八炉説明風に言えば、台目点左手前(台目切逆勝手)となります。昔、茶の湯にそれほど詳しくない頃見たにしては、個性的な席である故か、自分ながら意外に覚えているとこもあると思ったのですが、昔見た時、この部屋の向板の下には長炉が切ってあると聞いたような気がするのですが、他の茶席との記憶の混同かもしれません。万一そうなら、囲炉裏をふさげば、向切逆勝手、もしくは隅炉逆勝手の点前になりますが、記憶に責任は持てません。小林逸翁(阪急・東宝の創立者)が、昭和18年8月8日午前8時に、ここに松永耳庵を訪問した時、耳庵は、この部屋で朝食中で、不意の訪問にも驚かず、膳を片付け火鉢の鉄瓶の湯の沸き加減を覗きながら出迎えたとあります。逸翁は「濡れ縁付きの六畳」と、この部屋を表現していますが、後で茶を振る舞われた時は、盆立て、つまり鉄瓶で点茶していて、囲炉裏については何も言及していません。夏なので、囲炉裏は塞いであったのかも知れません。壁床には鈍翁の「夏来てもさすが深山は鶯の声を友ともするぞ嬉しき」の短冊を掛け、傍には土岐二三(ときじさん)の侘びた竹筒に朝顔一輪を活けた風情を「近頃めっきり茶人めきし主翁の態度こそ面白けれ」と逸翁は書いています。
耳庵の案内で逸翁は、廊下伝いにに急な階段を降りて、自然石をくり抜いて作った岩組みの風呂場を見ます。
入口には白鹿湯と名付けたこの浴室は鈍翁が作り、自分に贈ったことを三渓が書いた額があったと、逸翁は記しています。
どうも長くなってしまったので、訪問記の続きは次回に。
萍亭主












