さて、四日ほど間が空きましたので、皆様お忘れかもしれませんが、誰も知らない話の続きを。
知新庵の「茶道八炉図式」のメインテーマの八炉の解説を読んでいると、こういう狙いが見えてきます。置き合わせの説明図は、古くは山田宗徧の「茶道便蒙抄」などにも出て来る手法で、どうという新鮮味はないのですが、それぞれの炉を部屋に切るやり方の説明を読むと、こういう事が見えて来ます。これは、普通の住居の中に炉を切るやり方を教える狙いがあるのではないかと。
独立した茶室、つまり露地を備えた正式の草庵を作るのでなく、日常の住居の中に炉を切る、それを教えようとする狙い。前にもブログで書きましたが、川上不白の江戸下向以降、江戸の茶の湯の大衆化はどんどん進み、稽古をする事が茶の湯をする事という感覚になって来た時、経済的にさほど豊かでない階層も、自分の家に炉を切りたいと思う、普段の住居の中の、どの部屋かに炉を切ろうと思った時、この本の記事は役立ったかも知れません。
そして、知新庵の説明は、大変鷹揚なものです。例えば、四畳半切りは、広間で切る場合、道具畳の下半分に炉を切り、客座と亭主の座をよく考えて、道具畳を踏み越えぬように切るべきで、畳の敷き方は自由だ(ただし、六畳八畳は定った畳の敷き方がある)、そして右手前(本勝手)の方がいいけれども、従来の住居の都合で、その部屋が左手前(逆勝手)にしか切れなければ「是非なく」左手前に切っていい、というのです。台目切も、広間で好むべきではないが、時宜によっては台目にすることもあるだろう、その時は、道具畳に対し上半分に切ると心得なさいとして、六畳間の図を描き、そこに三箇所の炉を切れる場所を示しています(いわゆる上げ台目切りですね)。台目の左手前は、古人の好みも稀だし、有名な茶室もないが、時宜によっては仕方がない、としています。やはり、右勝手が本来好ましいという立場ではあるのですが、向点の左手前については、「地理住居の勝手によりて近来は」この形式の茶室も多いとしています。表千家も認めている向切逆勝手の席の流行は、この時代から始まったのでしょうか。そして、隅炉の左手前も、古人の好みもなく、名ある茶室もないが「住居の勝手によりては好むこともあるなり」とします。向点は、広間では好むべきではないとしながら、六畳から八畳くらいまでは、時宜により切ってもいい、侘びは住居の勝手に任せて切ればいい、その場合、炉の前に畳があっても構わないとし、隅炉も広間では好まないが、侘びては時宜により好んでもいいとします。この場合の侘びは、まさに経済的不如意、ちゃんとし露地、茶室は作れないが、住居の中の一室に炉を切り、茶の湯をやりたいという欲求に答え、住居の座敷の形状によってはしかたないじゃないかと、おおらかに認めている。この辺に茶の湯を普及させようとする知新庵の狙いがあると思います。
他に、この本の表現で、私が何箇所か面白いなと思ったのは、以下の記述です。
「当流(表千家)では客居の方へ右手をおけば右手前、左に置けば左手前とわかりやすく、右勝手、左勝手、順勝手、逆勝手などは皆他流の名目」とし「向切、手先、出炉などは他門の詞」とあります。ただし今の表千家では、逆勝手、向切、出炉などは使用しているようで、時代の移り変わりは面白く感じます。
向点の茶室は、一畳台目、二畳台目と呼ばず、一畳半、二畳半のように呼ぶ。台目点と差別するためである。
隅炉で、炉の向こうに板を入れていない場合は妙喜庵点と言い、板が入れてあったら、そう呼んではいけない。ただし、点前は同じである。もっとも炭点前では主客別儀の挨拶の仕様がある。
台目は、台目(薹目)、大目どちらの字も使うものである。
ただ、以上の三箇条については、自分が書いた別の本に、理由が書いてあるとしますが、確かに知新庵には、別の著書もあったらしいのですが、現在それは伝わっていないので、残念ですがわかりません。
そして、向点中板入り流し飾り左手前は、「宗匠が中板入りの数寄屋を好んでから、この点前が始まったので、これが本歌だ」としています。今、表千家が逆勝手として唯一認める向切の席は、この頃好まれたのでしょう。宗匠は家元を指すと思いますから覚々斎か如心斎あたりかと思いますが、表千家系の偉い人に尋ねても、誰という伝承はないそうです。知新庵は、その右勝手と、中板がない流し飾りは、家元はやっていないが「習熟のために」左手前の本歌から割り出して、新しく(自分の創作として)、置き合わせを書いておくとし、南方録に言うカネワリを心得ていれば、「新製(創作)なんの咎むる所あらんや」、家元から怒られるようなことではないと気炎をあげています。考案した「八炉探題点式」にも通じる自信と自己表示欲が見えるようです。
萍亭主