茶人は何故茶道具を持つ?

 当たり前ですが、茶を点てる為に道具が要る。しかし、稽古を始めたころは、稽古場の道具で間にあっているはず、習ったお茶を自宅でも飲む為、茶碗などから手に入れ出す。これが普通の流れでしょう。茶の湯にはまって行く内に、段々と道具が増えてくる。それは、人間の所有欲、収集欲の現れですが、その時、多分、自分の好み、気に入ったものを選ぶ筈で、茶の湯が「もてなしの芸術」だと言っても、客の気に入りそうな品を選ぶことはない。つまり自分の気に入った道具で客をもてなそうという流れで、そこに、いわゆる茶風、その人の茶に対する好み、茶風も見えてくるということになるのだと思います。実際、その人の集めている道具を拝見すると、派手好き、地味好き、大きい豪快な品を好む人、可愛らしさを好む人、現代風か、古典風か、その人の好みが一番よくわかるものです。

 勿論、茶人も以前書いたように、いろいろタイプがあり、点前好きの点前茶人、文献好き、、理屈好き、いろいろですが、道具茶人と呼ばれる、道具好きの人は、一段と、収集欲、所有欲が強いようです。でも、それは、茶会で使おうというのが第一義でない、茶会で使うのは、コレクションの結果に過ぎない。

 まわりくどい話になりましたが、つまり前回紹介した「茶会がないと道具も売れない」という、ある道具屋さんの言葉は、必ずしもそうなのか、という疑問です。むしろ、道具を集めよう、収集しよう、いつ使うかというより、それが気に入ったからコレクションしようという、道具好きの茶人が減っているんじゃないか、と思うわけです。減った理由はいろいろあるのでしょう、例えば、住宅事情の変遷で、嵩高な日常使わない茶道具を所持しようとすることが困難だとか、そもそも昔に比べ、茶室のある住まいが激減していることとか、この十年で茶道具の値は暴落していますが、以前は高価で、経済的に収集も大変であったことなど、いろいろ言われます。つまり昭和40年、50年代くらいまでの、どんな茶人でも自分の身にあった道具を気軽に集められる時代でなくなったことが、大きいように感じます。

 無論、茶会を引き受けた先生が、もう一つ季節感のある道具が欲しいとか、席との調和で違う水指が欲しくなったとか、この際だから、日頃欲しかったあの品を思い切って買おうとか、茶会をやるということが、道具を求める大きな要素であることは否定しませんし、前述の道具屋さんは、茶会で客の前で使うような一級品を中心に扱う道具屋さんなので、そういう言葉が出るのも自然なのかもしれませんが、道具好きの私としては、道具を愛し、好む茶人が増えることが、道具屋さんの苦境も救うことにつながるのでは、と思ったりもするのです。

 何か、つまらぬ理屈っぽい事を書き連ねて失礼しました。

   萍亭主