武野紹鴎や千利休、今井宗久、津田宗及など、堺の茶人達の話を読んだり聞いたりした方は、茶の湯とは直接関係はありませんが、「会合衆(えごうしゅう)」という文字を、見たり聞いたりなさったことがあるでしょう。
戦国時代の堺は、町人の自治都市で、貿易による莫大な富を基盤に、どの大名にも属さず、自治を貫きました。その自治の指導者層が、会合衆と呼ばれる富裕層でした。今でいう、市議会議員というところでしょうか、も少し権力があったかも知れません。堺の富裕層は、納屋、つまり倉庫を貸す、あるいは問屋のような機能を持つ者が、富裕層の中心であり、納屋衆と呼ばれ、後に、ほぼそのメンバーである有力者が、会合衆と呼ばれる指導者集団を結成したと見られます。今井、津田、千などの一族は、皆、会合衆でした。この「えごうしゅう」という言葉、私はいつともなく覚えた、多分、茶の湯を勉強し出してから、読む本のルビにも、そう振ってあったのだと思います。とことが、私をえっと驚かすことが起きました。
12年前くらいでしょうか、ある機会で、私は青木美智男先生という歴史学者と一晩酒を飲み語り合うことがありました。青木先生は当時専修大学教授で、磊落な方でした。四方山話の末、話が茶の湯に及んだ時に、先生が言い出されたのは、「『えごうしゅう』という読み方は、僕が作ったんだ」と言われたのです。驚いて委細を伺うと、角川の日本史辞典が作られた時に、先生は原稿の編集に深く関わり、付録の年表や、官職表、大名表などは一手に引き受けたというんですね、その折、「えごう」と呼ぶ方が格好いいと思い、そうしたんだと、平気な顔。何かの典拠があって?とお聞きすると「そんなもんない」。これは衝撃でした。後日、茶の湯文化学の大御所にお目にかかった時、この話をしたところ、「ほう?」と首を傾げられ、「知らないなあ」と。私が先生にかつがれたんでしょうか?と伺うと、そんなこともないでしょうが、と悠揚せまらぬ感じで、不得要領に終わりました。その後、これまた学界のトップクラスのT先生に、この話をしたところ、「えっ」と驚かれた後、「うーん、何か典拠があったように思いますがね、そう読む」というお言葉で終わりました。その後、京都の気鋭の先生に、この話をすると、「ああ、最近『かいごうしゅう』と読む説もある」とのことで、ただ、それがどんな理由でその読み方の説が出たのかは伺いそびれ、また、「えごうしゅう」の読み方が本当に創作だったのかについては、言及がありませんでした。
「先生、ほんとに先生の創作語なんでしょうね?」と青木先生にもう一度確かめたいところですが、先生は7年前に亡くなられて、確かめようもありません。
ほんとに、この言葉が青木先生の創作なら、なんとそれらしい素晴らしい読みを思い付かれたものかと、今更感心します。
萍亭主