前回の続きですが、曲亭馬琴の茶の湯への皮肉は、馬琴独自の視点は、あまり感じられず、当時の一般的な反茶の湯の考えの集大成であるように思えます。
本文で「肩肘がつかえて至って窮屈な作り」というのは、現在でも、茶の湯をしない(知らない)人が、茫漠と抱く感想かも知れません。茶席って何だか窮屈そう、お茶を飲むのって作法が面倒くさそうという感じは、たしかに持つことがある、茶道と言うと響きからして、厳めしく感じるようです。以前、妻が兄を茶会に招待しようとしたら、「窮屈そうだから嫌だ」と一言のもとにはねつけられてしまった事がありました。
正座しなければという意識が、そういう意味では、昔以上に、そう感じさせるかも知れません。
さて、「至って高慢臭く、爺汚い(じじむさい)」ものだという批判、高慢臭いという批判は、今のお茶人には、あまりピンとこないかも知れない。私も若い頃、権高で威張り腐っている先生を見かけた経験がなくもないですが、近年は経験がない。江戸時代の茶人には、浮世離れした感じや、茶の湯をしない者を無風流と見下すような、あるいは自分たちは普通の人間と違う高尚な人種だと高ぶるような点があったのかも知れません。そう言えば、昔、同級生で京大に進学した者がいて、彼が、「京都じゃ、茶の湯も知らんのかと馬鹿にされることがある」とぼやいていましたから、京都には昭和くらいまでは、そんな雰囲気があったのかも知れません。
じじむさい、という批判は、前にも書きましたが、現在の茶人には理解出来ないでしょう。今の茶の湯には、そういう面が殆どないからです。こういった批判から、江戸の茶湯の実態を想像すると共に、現在の茶の湯には、じじむさいと言われるような面がまずないということは、茶の湯にとって良いことなのかどうなのか、ちょっと考えてみるのも無駄でもないかも知れません。
「おちゃぴいが、いいべべ着たように、褒めそやすを嬉しがる」という皮肉、確かに現在でも、茶会では「結構なお服加減」から始まって、結構、結構と、全てを褒めまくるというのがパターン、「茶の席と湯屋は道具の褒めどころ」という以前ご紹介した川柳にあるように、江戸時代から、褒めまくるのが茶人のならいと見られていました。あまり心の籠らぬ形式的紋切り型での茶会のやりとりは、確かに冷やかされても仕方ない面はあるかも知れません。
「千家、遠州、石州より出る」という、産地になぞらえた文句は只の洒落ですが、「この縮、東山義政公より始まる」という本文最後の文句も只の洒落ですが、しかし、江戸時代の一般人は、茶道は足利義政により始められたという認識でいたのが面白い。茶の湯の専門家以外には、珠光の名前も、紹鴎の名前も伝わっていないようです。川柳にも「茶たて虫東山殿以来出来」「茶の親玉も足利の八代目」などというのがあります。茶たて虫は、微小昆虫で、障子に止まって鳴くと障子紙に共鳴して茶筅で茶を点てるような音に聞こえるからの命名といいます。義政が茶道を始めたので、茶たて虫もそれで生まれたと。二句目はちょっと難解ですが、江戸人は親玉というと、集団の頭領という他に、市川團十郎家の通称でした。この川柳が詠まれた頃の団十郎は人気最高の八代目、義政も八代将軍で茶の湯の親玉、それをかけた、ややこしい洒落のわけです。
続きはまた次回。
萍亭主