どうもコロナ禍の先は見えぬようで、東京は火が消えた状態ですが、先週からの全国への緊急事態宣言発令で、全国的に同様な状態のようです。
もっとも、かなり前から、茶の湯世界は逼塞状態。聞いた話では、裏千家では、4月初頭には、流儀の全稽古場に対し、自粛要請、つまり稽古場閉鎖を通達したそうで、勿論、茶会、研究会などもなし。これは多分、どの流儀もそうされたんだろうなと推察します。
京都の知人に電話してみたら、さすがの京都も、全く茶の湯の気配は絶えて、着物を着て街を歩く人影も絶え果てているとか。まさに茶烟揚らずで、春を告げる行事、二条城大茶会も中止で、寂しい春だとボヤいていました。和菓子屋さん、懐石弁当屋さんの悲鳴が聞こえてくるとか。例年だと、三千家合わせて、4月5月で四十余の献茶式があるそうですが、ほとんど中止。数少ない、中止せず行なわれるところでも添え釜の茶席は勿論なく、拝観者もお断り、家元と身内数人だけが、献茶式だけやるそうです。上賀茂、下鴨などは挙行するそうですが、中止、中止でない判断は誰がするの?と尋ねたら、それは、家元の判断ではなく、依頼する寺社側の判断で、中止しようと言われなければ、やるんだとのこと。そうか、あれは寺社側の主催なのね、と馬鹿な話ですけれど、私は今更、認識したのですが、何か茶の湯、家元側の一大イベントって感じで捉えていたもんで。しかし、献茶式なんて、いつ頃から、誰が始めたんでしょう?手許の書籍をひっくり返して見たんですが、簡単に見つからない。確か、明治初期に、北野天満宮の献茶式が、藪内流家元の提唱で始められ、七家元(三千家、藪内、堀内、高倉久田、速水)の持ち回りで行われるようになった、これが早い例という記事を記憶していますが、それが最初?江戸時代にはなかった?いやいや、禅宗の中では、仏前に茶湯を供える式法は当然あった筈、でも、それが今の様な台子で献茶するみたいな様式になり、茶会が伴うのが普通になったのは何時?誰か有識者に尋ねれば、一発回答があるかも知れませんが、現状、会合もなくちょっと手段がない。ご存知の方はお教えください。
閑話休題、当ブログも、このご時世下、毒にも薬にもならない呑気な話を続けていますけれど、まあ幸い、なんじゃ、この浮世離れはとお叱りをこうむる事もなく、さりとて、頑張って続けろと激励を頂く事もなく、どうしようかなと思案の末、取り敢えず、駄文を続けることに致します。
先回まで、十返舎一九の話を致しましたが、江戸の戯作者たちの茶の湯談議をしばらく続けるかと。戯作者たちの茶の湯批判、その中からも学べるものもなくもないので、あまり気分を悪くせず、おおらかに笑って御覧下さい。
萍亭主