もう一つ、茶碗の出てくる落語は「はてなの茶碗」、別名「茶金」です。上演頻度は分かりませんが、題名はポピュラーなような気がします。
例によって、落語通には、余計だと怒られるでしょうが、一応、噺の筋を追うと、京都衣棚通りに、茶道具屋金兵衛という商人がいた。品の値は彼によって決まる、彼がしげじげと見る品は、確かな値打ち物ばかり、といわれる大変な目利きとして、京都中に知られた有名人。通称「茶金」。彼が清水寺の音羽の滝下の茶店で休んでいた時、出された茶碗をためつすがめつ見た後で「はてな」と呟き立ち去る。傍で見ていのが、勘当されて大坂を食いつめ、京で油の行商をしている男、茶金があれだけの様子をするとは、大変な品と考え、同じ考えの茶店の親爺と大イザコザの末、全財産の二両で奪うように買い取ります。包みや桐箱を整え、茶金の店に持って行きますが、番頭は「どこにでもある、それも一番粗末な安物の清水焼の数茶碗」と笑い飛ばすので、怒って番頭を殴る。騒ぎに出てきた茶金も、番頭の見立てに賛同する。これは、あの時の茶店の茶碗だ、何であんな風に見ていたといわれ、気がついた茶金は、あの茶碗は漏れる、ヒビも傷もなく釉薬も問題ないのに漏れるのが不思議でならず、はてなと言ったのだと説明する。傷物だったのかと、がっかりする油屋に、茶金は自分の名前を買ってくれたようなものだからと三両の金を与えて、地道な商売をするよう、諭して帰す。後日、関白鷹司公の茶会に招かれた茶金は、近頃何か面白い話はないかと問われ、ふと茶碗の話をする。関白が見たいと望み、見て面白がった関白は「清水の音羽の滝の音してや茶碗も日々に森の下露」という歌の短冊を添えて返します(音してやは落としてや、日々は罅、森は漏りに掛けています)。公家衆の間でこれが話題になり、遂に天聴に達し、天皇が御覧という騒ぎになります。天皇も茶碗が漏れるのを面白がり、「波天奈」と箱書をして戻します。これで一挙に評判が立ち、大富豪鴻池善右衛門が、千両で買い取るという事に。茶金は油屋を探し出し、半分を与え、大坂に戻って勘当を解いてもらえと勧める。ところが油屋は大坂には帰らず、行列を組み、もっと儲かる物を持って来たと大きな箱をかつぎ込む。何かと思うと、漏れる大水瓶、というオチ。
さあ、困るのは、この茶碗、何用の茶碗?江戸後後期の感じとして、茶店で使うんなら煎茶用?この落語が得意だったという桂米朝の演じたのを見ると(生でなく動画ですが)、番頭が店で箱を開けて見る仕草は、ちと微妙で、煎茶碗にしては、ちと大きいような気がする。でも、茶金が茶店で、ためつすがめつする仕草は、やはり煎茶碗か。困ったのは、鴻池善右衛門が所望する時「茶会に使いたい」というんですね。だとすると、抹茶碗?そうか、でも、茶会が煎茶の茶会ならいいわけです。煎茶にも茶事はあります。私は煎茶は落語同様、暗いのですが、懐石に卓袱料理風の物を出したり、茶の湯(抹茶)系から見ると、いろいろ変わっているものの、名器もないわけではない。名器とか伝来とか聞くと、茶の湯好きは、つい抹茶器と思ってしまうんですが、煎茶だって名器は勿論あるでしょう。高価な品もあり、明治の入札でも、驚くような高値で急須や涼炉が売れたという話もあります。ただ抹茶に比べて、歴史が浅く、日本に来たのも遅いので、どうも茶の湯派から見ると、いまいち、古い歴史の器が少ない、伝来や所持が浅く、箱書とか銘もあまり聞かない。この噺のように、器が、箱書や、和歌短冊の添えで、出世して行くというのは、これが抹茶碗であったら、もっと相応しいのではと思うのは、茶の湯好きの私の偏見でしょうか。
萍亭主