この2、3年、めっきり茶会に呼ばれることが少なくなりました。知人の先生方が、お歳を取られたりして、茶会を催される事がめっきり減ったのと、多少、茶の湯離れの社会現象もあるかと。今回も、実は私ではなく、妻が参加した、それも料理方としてでずが、その又聞きを。実は、昨年末に私どもが変則の茶飯釜茶事をしたのを聞かれた方たちが、やってみたいとのご希望で、我が家の茶室と釜だけお貸しして、二人の方が、先週、連続で催されました。

 最初は、茶の湯の世界では若手で通用するIさんと、半東がベテランのYさんのコンビ、向切逆勝手の小間で、上の写真のように、伝衣和尚(大徳寺六代管長)の「巴蜀雪消春水来」山岳地方の雪も消えて、豊かな水が里にh流れるという、時候の軸。釜は角谷一圭です。布志名焼のふくら雀香合などで炭点前。茶入が三年坂の先代森岡嘉祥の小ぶりな瀬戸釉肩衝で茶名取得の折の記念品、茶杓は池田瓢阿の教室で席主が作られた自作、「あるがまま」という席主の心境を表す銘、明歴々露堂々に通じるもの。茶碗が赤膚焼では珍しい黒楽で、薬師寺中興の祖橋本凝胤師が瑞雲と銘したもの、水指は楽山焼で、空味の数印、薄茶器が夏目有彦の根来中次、薄茶碗が赤津の加藤六兵衛の絵瀬戸で、狭間に春の花を描いた可憐なもの、なかなかすっきりした道具組だったそうです。肝心の懐石は味噌汁は里芋、向付は生牡蠣、煮物は鴨、焼物は鮭だけ妻が用意し、八寸のママカリとタラの芽味噌漬、強肴の大根と鳥の煮物は、半東と亭主が用意したそうです。因みに菓子は鶯餅、干菓子は春の彩など。客四人は日頃のお稽古仲間なので和気藹々とした席だったそうで、珍談は、濃茶点前にかかった時、茶飯釜の蓋は、輪の中の中蓋を取るのですが、皆口で取れてしまい、止むを得ず、蓋置に乗せて点前を続けていたら、輪がガチャンと外れて落ち、一座ギョッとしたとか。

 次回は准教授のTさんと、Hさんの亭主半東コンビ、三月三日直前なので、寄付きが下のように雛の趣向の軸と脇床に貝合わせ、汲み出し代わりに、白酒で一献の趣向。

 

 

 

 

 本席主の軸は、下の東福寺西部文浄和尚の「閑座聴松風」。

 

 懐石は、八寸の鰯胡麻まぶしとこごみ、強肴の赤貝、菜の花、長芋の浸しは亭主方が準備、妻の担当品は前と変わらず。中村翠嵐の黄交趾蕗の薹香合で炭点前、Hさんの持参の白鳥の座箒が大きく立派で目を奪ったとか。高取菱形水指に、茶入が京焼の志野写しという珍しいもの、茶杓が銘「早春」で大徳寺五百十世義山良忠作、十代大樋長左衛門の茶碗。華やかなな感じで、薄茶も永楽妙全の黒地に菊桐高台寺文様、御深井の外三島内刷毛目と、これも渋い中に華やかで、猫柳蒔絵の棗が可憐だったそうです。菓子は虎屋の「下田の春」、干菓子は「菜種の里と蕨」。席主の柔らかな接待に長閑な気分の席だったとか。珍談は汁次を鎖にかける時、掛けそこなって汁次が火の上に落下、幸い大事にならず引き上げたが、肝を冷やしたとか。送り礼で躙口を開けたら客の影がなく、ベテラン正客がほろ酔い気分だったらしい、これ案外よくある事です。

 両席とも続き薄茶で、裏千家流は、次客から薄茶を飲むことになっているのですが、男性の正客も、ベテランの正客も、いずれもごく自然に正客から飲んでしまい、でも誰も不思議がらず進行、どうも、今の教則はやはり不自然なんだと妻が感想を漏らしていました。

 さて、呑気に茶事のご報告をしていましたが、気が付けば世間は騒然、突然の休校騒ぎで、孫たちも今日から転げ込んで来る気配。世上の騒ぎに巻き込まれぬが茶の湯者かもしれませんが、しばらく、ブログを休ませていただこうと思いますので悪しからず。

  萍亭主