江戸時代、いや、もっと昔から、茶湯に関するお金の問題は、ほとんど情報がありません。茶道具の値段ぐらいが出て来るだけで、茶の湯を習得するための授業料や、茶会での交際費(謝礼)なども、さっぱりわからない。

 ここに珍しく、こんな資料がありました。

 川上不白が、寛延2年(1749)に、如心斎から真台子を伝授された時、御礼、今なら許状料というんですかね、その明細が「あこやの浦」という本に残っているんだそうです。

 内容は、許状式の前日に、前礼として、鯛一匹を持参して挨拶。

 式の翌日に後礼として(実質的に許状料ですね)

    如心斎に 銀百枚、台が干し鯛

    若宗匠(啐啄斎)に 宗旦作尺八花入銘山吹

    如心斎夫人に 結綿三把

    家来中(千家の勤人)に 金三百疋

    勝手 宗甫・宗心に 延紙一包づつ (当日の水屋をした人でしょう)

    聚光院利休居士に 金百疋 (利休の墓、位牌のある聚光院へ香典)

 かなりの出費ですね。当時の換算では、銀百枚は金約72両、金百疋は金二分ですから、金四百疋で2両、現金の出費だけで75両ほど。乱暴に換算して、今の500万円以上くらい。物品の方も、宗旦作の花入など相応の値段でしょうし、因みに延紙は最上等の杉原紙のことで、当時では贈答用の高級品。全部で今の感覚では600万てところでしょうか。川上不白は、この頃はもう千家の住み込みなどでなく、諸方で教授をしていますし、鴻池など有力な後援者もついていたようですから、お金は調達出来たんでしょうが、江戸時代の茶の湯の教授って、儲かるもんなんですかね?

 現在、流儀により多少違うでしょうけれど、千家系では、茶名を取得する前には、大体、台子を許されているようです。裏千家は真之行台子、表千家は女性は行の行台子(男性は裏と同じ)を茶名取得の時には許されています。不白の場合は、皆伝という感じで、真の真台子だったのでしょう。ですから、弟子としては、最高位を極めたわけで、ちょっと単純に比較は出来ませんが、現在、裏千家で教授になる時には、最低60万円はかかると漏れ聞きますが、不白よりはだいぶ安い。もっとも、裏千家では、教授の上に、正教授があり、更にその上に名誉師範という階級がある。名誉師範になるのにいくら掛かるのか、公開もされていませんし、尋ねても誰も教えてくれないでしょうから、乱暴に推理すると、うーむ、でも不白の方が大変そう。まあ、名誉師範になる時より、それまでの活動にかかる費用の方が大変なんだという声もありますが。

 ともあれ、この資料で、江戸の茶の湯の経済面、例えば授業料が判るわけではないですけれど、修業して苦労を積んで、最高の位置にたどり着く時には、江戸時代中期の茶の湯では、これくらいの費用がか掛かったことは間違いないようです。

  萍亭主