松平不昧が 、千宗室(認得斎)に不満を感じたのは、やはり、そのお金に対するドライさというか、あけすけなところというか、近代的というか、とにかく、その辺のところが気に食わなかったのでしょう。
実際、茶の湯とお金の問題は難しいところで、いずれゆっくり考えたいとは思いますが、この場合、不昧が怒ったのはこういうことでしょうか。
現代では、例えば大寄せの場合、茶券あるいは会費いくらという風に、明示しますし、家元なども、例えば「宗旦忌にご参加希望の方は、会費何万円を添えて何日までに御申し込みください」と告知するなど、初釜やもろもろの行事、全て会費制で、高い安いはともかく、オープンではあります。しかし、今でも、茶事などは、稽古教習の場合は会費制ですが、正式の茶事はどんなものか。会費制でなさっている例もあると思いますが、そうでない場合も多いでしょう。
江戸時代、大寄せはないし、茶会費用いくらという感覚はないでしょう。もちろん、不昧が川上不白に茶事に招かれた時、何もお礼はしなかったとは思えません。それなりの挨拶はしたでしょうし、多分、金品でしたと思います。考えてみれば、昔は家庭に客を招いて宴会や食事という事はよくありました。その時、手土産など持参するとしても、現金を持って行く習慣はなかった、呼んだり呼ばれたりの関係でやって行く。まあ、今の若い人の家庭でのホームパーティなどは、会費制の場合もあるかは知りませんが。昔の感覚では茶事も自宅に招くという意味では同じわけです。それを、大名の場合とか、公式ではとか、あけすけに定価を決めて事前に請求するなんて、不風流極まりない、茶の湯の心にもとると不昧は感じたのでしょう。
宗室の方にも言い分はあると思います。大名クラスを招くというのは大変で、幕末、裏千家の玄々斎が関白近衛忠熙を招いた時の記録を見ると、大変なもので、関白とお相伴の茶事はいうまでもなく、お供の家来たちにも、別室で、ちゃんとした本膳(フルコース)で接待し、その他大勢の下級の供は場所がないので、向かいの本法寺を借りて、そちらで酒肴を出し、お土産なども出したようで、この時の近衛家の謝礼はわかりませんが、とにかく大変な手間と費用です。大名もある意味、公家以上に大変ですし、それに大名は、お礼も、下賜するという気分ですから、いくら呉れるか分かったものじゃない。余談ですが、昭和戦前のこんな話を聞いたことがあります。ある祝い事に、旧主の某侯爵家から金百疋と書いた、立派な包みが来た、開けてみたら25銭(1円の四分の一)昔風の換算で書いた内容ですが、当時、5円位が相場だったので驚いた、殿様は呑気だと感じたというのです。宗室からすれば、「こっちは茶の湯で生活しているんだ、趣味で旦那芸の大名と違う、プロが料金とって何が悪い」と、今なら、こんな表現の気分であったかもしれません。不昧に言わせれば「久松家から、俸禄を貰っていて、弟子だっているだろう、欲をかくな」というところだったのかも。隠居後の不昧は財政にゆとりがなく、茶道具を買い込みすぎて飴も買えないとこぼした手紙が残っているので、宗室の要求が高価過ぎると思ったのかもしれませんが、やはり、金を明示して要求する事に反発したのだと思います。この反感は、表千家の方にも向きます。長くなってきたので、それは次回に。
萍亭主