「通言惣籬(つうげんそうまがき)」は、主人公艶二郎が、悪井志庵とともに、日本橋伊勢町新道の、北里喜之介が、愛人おちせと住む家を訪ねるところから始まります。

   黄表紙に登場した艶二郎たちは漫画チックに描かれていますが、洒落本のこの作では、大金持ちの遊蕩息子らしく、リアルに描かれています。昼時なのですが、喜之介は三味線を爪弾いているぐうたらな描写、おちせも交え、挨拶やら、他愛ない会話が続き、志庵が腹が減ったというので、艶二郎が二朱銀(南鐐。17年前に発行された貨幣)を出し、鰻を買いにやらせます。この辺、当時は鰻が通の間では、青、白、筋などと分かれていたことなど判り、面白いのですが、それは余談として、鰻も来て、酒の燗もつけ、遊郭などの噂話などしつつ、鰻も喰ってしまうと、ここで突如、茶の湯の話がはじまるのです。

   喜之介が、戸棚から茶入を二つとり出し、「そうそう、住吉町の川治から、茶入を持って来ておきやした、御覧なせえ」と、艶二郎に渡します。住吉町は今の人形町の付近で、道具屋の多い町だったといい、川治は川田屋治郎右衛門という実在の茶道具屋です。喜之介は茶入を 預かって来て、あわよくば艶二郎に売るつけ、手数料をせしめようという魂胆なのでしょう。艶二郎は、「土色、糸切り、釉薬のかかり具合などを見て」鑑定します。糸切りは、ご存知のように、茶入の底を轆轤から糸で切り離した跡の景色を云い、右糸切は唐物、左糸切は和物などと言って、古来、茶入の鑑賞、見どころの一つとしますし、土色、釉のなだれ具合なども重要視しますから、艶二郎のやり方はまともなものと言えるでしょう。鑑定結果は一つは「こいつは京窯だわい、新兵衛か万右衛門だろう、金一枚くらいのものかの」京窯は、不昧の分類の後窯(のちがま)の中の一つで、茶道辞典によれば、京都三条柳馬場辺りで焼かれたもの、新兵衛は有来新兵衛とも言い、小堀遠州に学び、瀬戸、信楽、備前などを模した名工、万右衛門は「落穂」「田面」「振鼓」など、中興名物がある、腰がすぼんだような独特な形の肩衝の作家です。新兵衛と万右衛門じゃ随分違う筈なので、艶二郎の言葉は知ったかぶりとして描いたか、京伝自身よく知らなかったかは判りませんが。金一枚は、これもいろいろな考え方があるので難しいですが、大判一枚、小判で八両くらい、現代の物価に直すのも何を基準にかで大きく変わりむずかしいですが、えいやっと換算して60万円程でしょうか。

   もう一つの茶入の鑑定は、「これは一向につまらんもんだ、とんだネキ物だ」というのです。ネキ物とは、売れ残りで、避けてある物という意味です。

   長くなるので、続きはまた。

        萍亭主