珠光、利休以来、大茶人はそれぞれ、なるほどという名言・逸話を残しています。

  心に残る名言とか、逸話とかいうものは、ある程度、一般的になるほどと思わせる程度でないといけない。あまり哲学的すぎたり、禅の悟道に深くても、私のような凡人には理解出来なくなります。それはさておき、 川上不白もいろいろな名言、逸話を「不白筆記」などに残しています。有名な話ですし、江戸千家系の方々ならご存知の人も多いでしょうが、一応、私の好きな言葉をあげてみます。(不白の原文は字の使い方などが難しく、私なりに一応判りやすく書き改めてみましたが、間違っている箇所があったら御免なさい)。

   最初に感心した言葉は、「茶の点前は 師匠に似ざるを好むなり。似ざるを以って  似たりとす。似たるを似ざるとする故は、人は同じくして似ざるがごとし。似たるは似せもの(偽物)なり。その同じ事をするに、似るというものにあらず。似るは、その人の癖を看取るが故なり。癖より他に似せるものなし、師の悪い所が似るなり。良き事は目にも見えざるなり。見えぬを良しとす、よって似たるは悪し」です。昔、妻に点前を習った時、この言葉を自分に都合のいいように引用して抵抗して、妻に怒られましたっけ。

   また、「茶の湯と稽古は格別変わり申し候。茶の湯は今日知った者も、知らぬ者もあり。その上、何事にて候哉。人を饗応する礼なり。知らぬは知らぬに任せて致し候。知りたるは知りたるに任すべし。とかく、稽古の角なくして客と主と別の心なきように心良く(快く)楽しむべし。これを良く致さんが為の稽古なり。客を苦しめて何の礼にあるべきや。心実(真実)の茶の湯肝要なり」ちょいと難解ですが、でもなんとなく成程なと。

   不白の言葉で有名なものに「守・破・離」の法則があります。原文をこれ以上引くのも何ですから、大雑把に言うと、「弟子に教えるのは守りの段階までで、弟子は守の段を学び尽くせば自然と自分で破る、己れが物になったからで、これは上手の段である。しかし守だけでも破だけでもいけない、この二つを離れたのが名人の位で、前の二つを合わせて、離れて、しかも二つを守ること、この守は、最初の守とは違うことをよく理解しなけらばならない。よく研究せよ」というのです。

    不白の名言はまだありますが、私も疲れ、読む方もおつかれでしょう。この辺で。明日はブログを休みます。

    萍亭主