六宗匠の一人に数えられますが、片桐石州は、他のメンバーより、正直、ちょっと小粒な感じがするのは何故でしょう?
多分、それは他のメンバーや、六宗匠以外の金森宗和、千宗旦などに比べて、その茶風やイメージが、単純明快に捉えにくいというか、解説しにくいというか、つまり特異性に薄いという点だと思います。これ、決して悪口ではありません。石州の茶の湯は、それまでの茶の湯の個性を全て呑み込んだものとも言えます。例えば、今日、同じ武家茶道と呼ばれるものでも、遠州流は楽茶碗を使わない。石州流は使います。千家の侘びの風情をちゃんと受け継いでいると同時に、遠州の和歌の雅な世界も茶入や茶杓の用い方に取り入れている、皇室、公家との付き合いもあって、金森宗和の世界とも無縁でもない。また、武家として、織部の豪放な面も捨ててもいない。つまり、総合的に調和させているとも言えます。ビジネスの世界にたとえれば、会社の創業者ではなく、経営を受け継ぎ地道に発展させる守成の経営者という感じでしょうか。
石州の言葉に「茶室は明るきも暗きも悪しきこと」というのがあります。なかなか含蓄のある言葉で、なんとなく偏らない心を感じるのですが、この後に「口伝」という文句があり、詳しいことは師匠から聞けという、流儀秘伝の様式が顕著になっているとも思われます。石州は、遠州と同様、いい言葉をいくつも残していて、私の好きな言葉は「茶の湯、さびたる(寂びたる)は吉(よし)、さばしたるは悪敷(あしき)と申す事」です。大名が侘び者(貧乏人)の真似をするのは、ふさわしくないとさとしています。「数寄は見世物ではない」とか、「数寄は山野にも道端にも普段の生活にも満ち満ちているのに、それに気がつかないから、こしらえねばならないと思うのだ」とか、「人作(こしらえごと)の侘びは侘びではなく、天作(自然発生)の侘びが本当の侘びだ」とか、「器物や風情を愛する数寄者は、形を愛しているので、心を愛する者こそ真の数寄者だ、高価な道具より瓢箪の炭斗一つの方が数寄の本意に叶うものだ」というような、皆様もどこかで聞いたなというような精神論を説いています。
利休、道安という系譜につながる石州は、侘び茶について一家言があったようで、妙法院宮(後水尾天皇の皇子)に「一畳半事」という極小の茶室での茶の湯作法(これ、今でも石州流では秘伝である筈で、大日本茶道学会などにも伝えられている筈です)を贈った中で、侘びというものに触れ、「宗旦は侘びの本質に叶うようによくやっているが、五ケ条の伝授(私には不明)も得ていない茶人ですから」と宗旦の足を引っ張っています。
有名な逸話に、4代将軍家綱が病気療養中の気晴らしに茶会を催した時、亭主役の稲葉美濃守が、紋散らしの衣装や色違いの裃など茶の湯らしくない派手な衣装で点茶したのを、批判する人がいた時、石州は「病中のお慰みに、何か珍しいことをと考えての上でやったのだから、それでいい。それが茶の湯で、必ず決められた手順通りやるのは茶の湯ではない」と、茶の湯に一定の法式はないという立場を説きました。こういう懐の広さや、最初に述べた、いろいろの面を持った茶風が、多くの人に受け入れられたのではないでしょうか。続きはまた次回に。
萍亭主