茶事七式を五式まで考えてきて、残るは二つ。今までの内、跡見、暁、不時は、現在全くやられない、夜咄と朝茶は、行われてはいるのでしょうが、数的にはそう多くない、勘で言うと、夜咄の方が、朝茶よりは多いんじゃないかと思いますが。勿論、稽古茶事と呼ばれるようなものは別です。

   残る二式の内、飯後の茶事も、あまりやられているとは思えません。飯後の茶事とは、いくつかの解釈はあるようですが、朝食後、または昼食後、午前十時とか午後二時とかに始める茶事で、夕食後というのはやらないという決まり。菓子茶事ともいい、菓子をメインの茶事の筈ですが、時外れと称して、簡単な食事(点心とか松花堂とか)を供するというやり方もあります。飯後と時外れは違うという学者もいれば、同じだという茶人もいて、ま、これはどうでもいいでしょう。要するに正式の懐石を出さないということです。

   菓子茶といっても、必ず、初座で炭点前をし、吸物八寸は出して盃事をする、主菓子を出して中立、後座は濃茶、後炭、薄茶という茶事らしい手順は踏むわけです。しかし、この菓子茶すなわち飯後の茶事は、催されたという話も、招かれたという話も、私は一向聞かないのです。本当は、他の茶事と違い、さしたる準備も要らず、簡単に催せそうで、何故?と思いますが、どうもこれは、その簡単さに原因があるようです。つまり懐石がない、これが催す側にとって引け目になるのでしょう。茶事は、お茶を喫するのがメインというのはよくわかっていますが、それでもお茶事と聞くと、懐石の御馳走を思い浮かべるのも人情で、招く方も、茶事として招くのに菓子だけでもなあという気分に陥りやすい。露地の掃除とか、道具の飾り付けとか、他の茶事同様手間をかけるのなら、ついでにもう一手間かけて、正午の茶事に呼ぼうかと、そうなるのじゃないか。菓子と茶だけで、見事楽しませて見せるという自信に満ち溢れた茶人なら、平気でしょうし、また招かれる方も、あの大茶人のお招きなら、さぞ、いい飾り付けが拝見出来よう、菓子だけで十分満足となるんでしょうが。

   私は、菓子茶事は、もっと行われていいと思いますし、我が家でも一、二回はやりましたが、この茶事を普遍化するには、要するに、ほんとに気軽に茶事として楽しむためには、心の通じ合う、そして気軽な茶友仲間作って、その交友の中で、招き合う形にしないと駄目なのでしょう。明治の昔の和敬会のように、小人数の会の組織を作って、会員が持ち回りで招き合うようにすれば、と思うのですが、これも言うは易しなんでしょうねぇ。

    今現在、私のところは、風雨はまだそれほどではありませんが、皆さま、台風はどうでしょう、心配です。お気をつけて。

     萍亭主