大寄せ茶会で、大切なのは、やはり会話、主客の間にこれがないと、一座建立という感じにはならず、お点前はあるものの、単なる呈茶席の感じになってしまいます。そういえば、先日、ちょっと祇園祭に行き、宵山の菊水鉾のところでのお茶会(毎年あるようですが)に入りましたが、舞台でお点前はあるものの、客は5列ほど並んだテーブル席で点て出しを頂き、特に席主の挨拶とかそういうものはなく、お点前さんが舞台下で一礼するだけで、これだと、やはり呈茶か施茶という感じで、大寄せには違いないが茶会とは言えない。主客の応酬は大寄せの必要条件でしょう。
一度、大寄せで、大日本茶道協会(大日本茶道学会とは別の流儀です)のお席で、独特の立礼点前を拝見した時、ご亭主は最初、最後の挨拶以外、一切口を利かず、正客も同様で、ひたすら点前を拝見するだけ。他の流儀の立礼と全く違い、お点前が立ったまま、ステップを踏んで、やや高めの点茶台に向かい点前をする。独特なお流儀で、道具に重きを置かず、精神的なものを追求されるそうですが、正直、ショーを見に行った感じが強く、茶会に行った感じは薄かった、まあ、あれほどシーンとした大寄せは初めてで、珍しくもありましたが。
ともあれ、茶会で言葉は大切です。しかし、茶会の挨拶は、ついつい紋切り型になりがちで、これは、茶事の指導書などで、ある程度、進行のためでもありますが、ルーティンの言葉、「お任せを」とか「お取り上げを」など教え込まれる影響かも知れませんが。
よく正客の最初の挨拶に「本日はおめでとう御座います」というのを聞きますが、私にはわかりません。年一度の流儀の大会か何かで、今年も例年通り無事開催とか、長寿記念とか襲名の茶会とか、そういう茶会でもなく、諸流入れ込み、道具屋さん主催の茶会などで、この挨拶はどうかなと。
正客の任務の一つが「褒める」です。江戸の川柳に「茶の会と湯屋は道具の褒めどころ」というのがあって、昔から、茶会とはそういうものって認識なんですね(ついでですが湯屋は今の銭湯のことで、男湯で褒める道具と言ったら、お分かりですよね)。そこで、見る道具、見る道具、一生懸命褒めるんですが、それも紋切り型に「まことに結構な」「結構なお釜で」の連発では、「結構茶人に結構なし」と、昔の人に冷やかされそうです。なかなか感服七種の術(当ブログ四月の「感服係」を参照)を心得ている客はいませんから、自分の感触を素直に自分の言葉で褒めればいい、茶事などでは案外それが出来るのに、見知らぬ亭主相手だと出来ないものです。褒めるところがなかったらどうする?どこか良い所を見つける努力をするのも、お正客の役目でしょうね。
伝統的な茶の湯用語も使う人によって似合ったり、似合わなかったりするもので、亭主側が使う「お目だるい事で」も、枯れ切ったご亭主がいうと風流に聞こえますが、普段気鋭の茶道学者の先生に「まことにお目だるい事で」と挨拶された時は、どうもピンと来ませんでした。客側の使う「眼福で御座いました」も人を選びそうです。
要は主客共に、自然体、率直が良いのでしょうが、あまり、率直すぎるのも。一度、庸
軒流柳可派の席だったと思いますが、正客が開口一番「聞いたこともないご流儀ですが、どんな流儀ですか」と言ったのには、ひっくり返りましたね。「物知らずで存じませんが、ご流儀のご由緒は?」とか、やはり言い回しを考えるのも茶人でしょう。
実は、私も正客を務めさせられることが多い割りには、下手くそなんですが、自戒を込めて、偉そうなことを。失礼しました。
萍亭主