茶杓は、昔の茶人は趣味として削る人も多く、江戸時代の茶人の茶杓は結構な数があったろうと思われます。ただ、その茶人が生前有名であっても、いつか忘れ去られ、後世、これ誰なの?と大切にされず、棄ててしまわれるということも多かったでしょう。今でも茶の湯をなさる古いお宅などに、誰かわからないが古いことは古そうなので捨てきれずにいるとか、道具屋さんの片隅に、売り物にならないが捨てるのもなんだし、いずれ何かに化かすかと置いてある、などという話も聞きます。
茶の湯の世界は不思議なもので、例えば古い茶碗を「萩となっておりますが唐津かも知れません」とか、香合を「唐物と申しておりますが、どうで御座いましょう、和物かも」とか、水指を「古備前と伝えておりますが、ちょっと若い気もいたします」とかいう亭主の挨拶はすんなり受け入れられるのに、「何焼かわからないんですが、格好が面白いんで使ってます」とか、「家に古くからあるんで、香合だろうと思うんです」なんて挨拶だと、少し引いてしまうようです。出生が判らないと何となく興ざめなんですね。
茶杓も同じ事で「花押はあるんですが」とか「明月庵とありますが、どこの誰か判らなくて」というのは、何故そんな物をと客が怪訝な顔をしそうです。作者不明の茶杓は、前述の仰木魯堂のように、それなりの覚悟がないと使いきれないのかも知れません。
大寄せ茶会で誰の作か判らない茶杓を使われるのを見た経験が二度あります。30年も前でしょう。一度は裏千家の方で、「不動という銘で、茶杓の景色が不動明王の炎みたいなのが面白くて。不蔵庵とあるんですが誰だか判らないんです」とご亭主。私もまだ若く、勉強した知識をひけらかしたくて、詰の方に居たのに、つい「宗徧流の不蔵庵龍渓じゃありませんか」と口を出してしまいました。ご亭主も正客も、若造が何を言うかと怪訝そうなので「この茶杓をご覧なさい、短くて細いでしょう、これは宗徧の好みだと思います」と偉そうに簡単な龍渓の説明までしてしまいました。正客に「学者の先生が居るとは思わなかった」と皮肉めいた挨拶をされ、ご亭主も茶杓の正体が判っても、あまり嬉しそうでもありませんでした。
二度目の経験は、端午の頃、大日本茶道学会のご亭主で「銘が菖蒲で丁度時候なので」とのこと、この時は正客だったので、作を伺ったら、「大正時代の女の人って、買った時言われたんですが」と、あまり覚えていないご様子。筒と箱の拝見を願って見てみたら、裏千家の玄々斎の娘で、又玅斎夫人の猶鹿子さんの作でした。そう申し上げたのですが 、ご亭主は、あまり興味もなさそうでした。裏千家の人なら大喜びしそうだなと思ったものです。
言っては何ですが、自分の流儀の事だけよく知っていて、他の流儀の事には無関心という人が多すぎるように思えます。この二例とも、宗徧流の人や裏千家の人が、これらの茶杓を見ていたら、もっと早くその価値に気付いたのではないかと。誰の作だか判らないと放って置かれている原因が、勉強不足や流儀違いのためだったりするのなら、勿体ないことのように思います。
萍亭主