近代では、家元、お坊さんの他に、茶杓を削った人として、益田鈍翁などの数寄者がいます。
西山松之助先生の「茶杓百選」に選ばれている内、一番新しいものは、大正時代の裏千家家元圓能斎鐵中の作ですが、明治大正からの茶の湯を牽引した近代数寄者が作った茶杓は出て来ません。 高原杓庵先生も取り上げていません。
昨年、平成30年秋、滋賀県のミホミュージアムで、「百の手すさび」というタイトルで、展覧会が行われました。近代茶人の茶杓を研究される池田瓢阿氏(竹芸家 三代)の企画監修で、益田鈍翁、安田松翁はじめ関東関西の数寄者、文人、画家、工芸家など50人近くの茶杓を中心に、近代数寄者の茶の湯世界を描き出し、大変面白い展覧会でした。
近代数寄者は、自由な発想と伸びやかな精神で茶杓を削り、それぞれが個性的で、銘の付け方も自由自在です。数寄者たちは自分の茶会では、名品を用い、茶杓も利休から不昧まで、豪華なものを使い、勿論、自作の茶杓を使う様な事はありませんが、友人同士や後輩に自作茶杓を贈る事はよくあり、貰った方も何か相応しい機会に、薄茶席で使うなどということもありました。東久世通禧(枢密院副議長 公家出身で七卿落ちの一人)は十六羅漢会(和敬会)のメンバーですが、他の会員に、羅漢の名の銘の茶杓を贈っていますし、高橋箒庵は、大正名器鑑の出版記念に、知友30人に自作茶杓を贈っています。
数寄者は皆、結構茶杓を削っていて、益田鈍翁が日常の中で茶杓を削る姿を原三渓が画にしたり、高橋箒庵が削っている写真が残っていたりしています。益田鈍翁、高橋箒庵、野崎幻庵、三井泰山、松永耳庵などが、作品数の多い方だと思います。逆に有名な数寄者で茶杓が見当たらないのは、原三溪(実業家 三渓園の創始者)と根津青山(東武鉄道経営 根津美術館創始者)の二人でしょうか。
下削りはいたのかどうか。どうも箒庵は居たようですし、三井泰山などは、お抱えの下削りが邸に待機していて、お出入りの人が茶杓を頂戴したいというと、即刻作り与えたという話があります。
畠山即翁(荏原製作所、畠山記念館創始者)の茶杓が、ミホミュージアムで出ていましたが、昔、私は畠山記念館館長で即翁の最も側近だった芥唯雄先生に、「即翁は茶杓を削られましたか?」と尋ねたことがあります。「いいえ、削っていません。即翁は自分のやれない事はやりません」という答でした。してみると、あの茶杓は誰かが削ったものに、誰かから依頼されて、銘を書き与えたものなのでしょう。そういうケースもあるということです。しかし、かなり素人臭く削っている人の例もあり、皆さん、コーチはいたでしょうが、案外自作が多いのかもしれません。
数寄者の茶杓は、市場に出てはいますが、そう数は多くなく、値段も家元並に高い。
お茶会では、裏千家の秋山氏が野崎幻庵の茶杓を使われたのを拝見したことがあります。流儀に関係ないだけに、もう少し、いろいろな席で使われてもいいような気がするのですが。
贋物があるかは知りませんが、じわじわ人気が出ているようなので要注意かも知れません。ネットで根津青山と称する茶杓を見たことがありますが、ひどいものでした。
次回は茶杓の銘について考えたいと思います。
萍亭主