これは割と有名な話なので、ご存知の方はご容赦下さい。

   この話は、益田鈍翁が死去した昭和13年の翌年2月に、追悼文集として出版された「大茶人益田鈍翁」に、藤原銀次郎(茶人としての号は暁雲  王子製紙社長)が発表して明るみに出た話です。鈍翁の種々の逸話を記した一節に出てくる話で、そのタイトルが「猿も木から落ちる」です。

   大正の中頃でしょうか、益田鈍翁の屋敷に、ある日、普段あまり来ない、道元、小川某という道具屋が、ご機嫌伺いにと罷り出ました。道具屋のご機嫌伺いとは、セールスの為に何か茶道具を持参してくるものですが、これが手ぶらなのです。怪しんだ鈍翁が尋ねると、最初は生返事でしたが、実は玄関に風呂敷包みがあるというんですね。当然鈍翁は「見せろ」ということになります。すると「お宅は山澄(力蔵 当時東京一の目利きの道具屋)がお出入りですし、山澄を通さずに品物をお見せするのは筋でない、それに、その品はもう納めるところが決まっていて、これから持参する途中なので、もしお見せして、欲しいなどと仰せになると、山澄にも先様にも申し訳ないですから」と、どうしても見せようとしません。そうなると、道具好きの鈍翁としては、ますます見たくなります。「見せるだけ見せてもいいじゃないか、山澄には内密に取引すればいいじゃないか」「じゃ仕方ない、お見せしますが、ご覧になるだけですよ」「うん、見るだけだ」というような問答があって、遂に風呂敷が開けられました。中身を見た鈍翁は驚いて目を丸くします。

   「こりゃ、お前、酒井家(旧姫路藩主 伯爵)秘蔵の雪峰じゃないか、一体どうしたというんだ」。光悦作の赤楽茶碗で、光悦七種のうちに数えられ、現在は重要文化財となって、畠山記念館の収蔵になっている名品です。流石は鈍翁で、現今のように美術書やカタログなどもなく、展覧会で目に触れる機会もない時代に、この茶碗の知識があったのですね。「実は昨年暮に、酒井様で是非とも御入用のお金があって、極内密でお引き受けしました。お名前は申せませんが、これからあるお屋敷に納めに参るところです」うーんと唸って、眺めれば眺めるほど良い茶碗です。金額は六千円だと

いう、当時、大学出の初任給が三十円程ですから、大雑把に言えば、今の六、七千万位かも知れませんが、これほどの名器にしては、当時の感覚では安い。「どうにかならんか」「それはいけません、だから最初に、ご覧になるだけと申し上げました」こう断られると、ますます欲しくなるのが道具好きです。「いや、これは俺が貰っておく、手数料は一割でいいだろ」鈍翁は小切手を書いて無理やり押し付け、茶碗を取り上げてしまいました。道具屋は、お納めする筈のお宅に申し訳が立たないと、しおしおと帰って行きました。

   鈍翁は嬉しくてたまらず、早く誰かに見せて自慢したいのですが、いつもの山澄には、流石に経緯からいって気が咎めます。そこで、大阪での出入りである戸田露朝(谷松屋  当時山澄と並んで目利きの第一人者といわれた)に、手紙を送り上京を促しました。参上した露朝は、茶碗を手に取ると、腑に落ちない顔でしばらくいじくりまわしています。話が長くなりましたので、続きはまた明日に。

      萍亭主