茶道具の贋物はいろいろありますが、掛け軸は意外に贋物があると聞きます。
本来、軸は茶道具中、最も重いもので、席の主題ともなるものですが、鑑定の難しさは、昔から古筆見という職業があるくらい、素人ではなかなか難しい。
私見ですが、宗峰妙超など、開山クラスの墨跡などは、茶道具でなく、仏具としての時代に、各寺や塔頭などが、うちの寺にもあるよと自己の権威を高めるために模作したりすることがあったんじゃないかと思います。その手がブログに書いた利休や有楽の絡む事件を起こしたのではないかと。
聖武天皇から始まって、各時代の名筆家の手跡を集め、帳面に貼った「大手鑑」というものがあり、これらは江戸時代には大名の息女の嫁入りの時、持参する嫁入り道具の一つとして必須だったといいます。三百諸侯の娘の数は膨大で、手鑑の本物は、そんなにありませんから、各大名家の祐筆が模作を製作したといいます。これが、大名家の権威で本物として通用し、やがて剥がされて軸になるというような事も。
需要と供給の問題ですから、茶の湯が盛んになるに連れ、贋作は多くなりますが、近代数寄者の時代には結構増えたと思われます。一休、春屋といった大物から、沢庵、江月、玉室、清巌など江戸時代前期の大徳寺ものや、松花堂、遠州、不昧など、当時人気のものに贋作が多く作られたといいます。江戸時代後期のものでも、人気の高い白隠、仙崖、宙宝や大綱、蓮月尼は、半分以上贋物と道具屋さんは言いますし、近代の大徳寺の管長のものや、千家家元の物も贋作が現れ、裏千家が機関紙でわざわざ注意喚起する事態になりました。
書の専門家とも言えない道具屋さんたちが、どう鑑別しているかというと、筆勢全体を見る、墨継が不自然でないか見る、石の印で押されているか見る、紙の質、表具を見るといったところで、長年の経験を生かしているようです。
もともと高値に売れないもの、人気のないものに贋物はない、作る経費倒れになるからとか、一行物で、あまり難しい使いにくい字句のものは大丈夫だとか、過剰な添え状や極めが付いているものは却って怪しいとか、いろんな観点があるようですが、素人には、なかなか判別はつきません。
私のように目の効かない者でも、茶会で床を拝見して違和感を覚えた経験が3回ほどはありますが、もともと茶会は表立って真贋論争をする場でもなく、床を拝見して、仮に「?」と思ったとしても、その場で「これは贋物でしょう」と挨拶する客は居る筈がなく、亭主は何も気付かず、使い続けるだけとなります。道具屋さんも、自分が直接売買に関係していない限り、なかなか真実は言わず、尋ねても「どうでしょう、よろしいんじゃございませんか、まあ、お大事になさいませ」てな挨拶ですませてしまうタイプも多いので、持ち主は疑心暗鬼にかられたままになることになります。
実は私も軸で面白い経験をしたことがあるのですが、続きはまた次回。
萍亭主