馬越化生は、茶の湯の亭主をするときは謹厳小心でしたが、 客になると感服係と言われ、高橋箒庵の話では「感服七種の秘術を尽くして」席を盛り上げ、座を楽しませたと言います。感服七種とは、唸り声をあげて感服、しばらく瞑目して感服、亭主の顔を見つめ無言で感服、鼻息を荒くして感服、お世辞笑いをして感服、尻餅をつき体をグニャグニャして感服、品物を頭上に差し上げて(頂いて)感服だそうですが、さて実行するのは難しそうです、わざとらしくなりそうで。勿論、座談もうまく、あまりふざけもしないで、しかも面白い話題で座を持たせる客ぶりだったといいます。たしかに、大寄せ茶会全盛の昨今、こういう老巧な正客はなかなかお目にかかりたくとも、ありませんねえ。
実生活でも豪放磊落で、艶聞も多く、馬大尽と呼ばれました。最初は芝桜川町(今の虎ノ門一丁目)に二畳半台目と八畳の桜川茶寮という別邸を持ち、明治35年頃、江戸十人衆の鹿島屋清兵衛家から宋、元の名画を買収し、自慢の種にしたので「桜川宋元」の仇名もありました。後年は恵比寿の工場側に、又隠写しを建てています。早くから道具好きで、前回紹介した明治25年の東京で最初の売り立てに、名物田村文琳を、三百円五銭で落札、五銭差で岩崎弥之助を出しぬきました。ただ、この茶入は関西第一の数寄者藤田香雪に是非と懇望され、力関係もあり譲りますが、藤田は六千円を贈ったといいます。後年、この茶入を藤田家で拝見した益田鈍翁たちが、「こんないい茶入を手放すなんて!」と、旅先の大連にいた化生に電報を打ちます。その文面「タムラブンリンミタ バカヤロウ」。化生はニヤッと笑っただけだったといいますが。
化生は、鈍翁との間に茶道具を巡っていくつもの逸話を残しています。化生は、口が軽い癖があり、鈍翁から何かの謝礼に、名品の青磁の桃香合を贈られ茶会で使ったところ、それを見た客が驚嘆して、こんな名品を贈るとは鈍翁も辛かっただろうといい、化生はつい、「鈍翁は良い道具は持っているが、実は鑑識眼がないから」と口を滑らせました。客の中にいた井上世外(馨)が鈍翁に告げ口したので、茶の湯では絶交と宣告され、大師会にも招待されそうもなく社会的面目を失いそうで降参し、鈍翁の末弟紅艶(こうえん)の扱いで、秘蔵の粉引徳利を譲り、和睦します。この徳利は化生が鈍翁の弟克徳から、ある件で巻き上げたものでした。
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萍亭主