いやいや、長いこと東京、関東の家元を見て来ましたが、どうやら今回で終わりです。
あと二つ、私が拝見したことのある流儀について一言。
一つは庸軒流です。流祖藤村庸軒は山田宗徧と並ぶ宗旦四天王の一人で、前回の久田家の久田宗全の弟にあたるので、千家の親戚筋です。宗徧流に比べて、江戸時代から、やや地味で、それほどには広がらなかったのは、庸軒が裕福であり学者肌で淡白な性格だったからとも言いますが。庸軒はほんの一時、伊勢の津の藤堂家に仕えたようですが、その縁でしょう、弟子の近藤柳可の家系が、8代にわたり、藤堂家の茶頭となりました。明治になり、近藤家は茶の湯から離れ、流儀は弟子筋により東京に伝わります。現在、府中市に山下家が庸軒流14代を称します。庸軒の茶風は宗旦の侘びをほとんどそのまま継承したと言われますが、近藤家の伝来品などは戦災で消滅したと言われ、種々ご苦労があるようです。私の一度拝見した席では、庸軒好みの凡鳥棗が使われて、如何にもその流儀らしいと感じたものです。凡鳥棗は桐の花が蓋に大きく蒔絵され、桐は鳳凰が棲むというので、鳳の文字を二つに分けて命名したという、学者庸軒のセンスが知られる代表的な好みの品ですね。ちなみに、庸軒流は京都、大阪、岐阜に別系統の家元があります。
もう一つは、中野にある東千家(あずませんけ)です。昭和20年代末期の創立で、流祖黒田宗栄は、東京茶道会に関わった人のようで、野火止平林寺の大休宗悦和尚(妙心寺管長、昭和の名僧の一人)の勧めで創流したそうです。一度だけ大寄せでお邪魔しましたが、表千家系のようでしたが、軸は大休で、今でも平林寺と深い繋がりがあるそうです。鏡点前という一つの道具(風炉台子)を二人で向かい合って使う珍奇な点前があるようなのですが、私は実見していないので何ともです。
さて、こうして見てくると、東京、関東の家元は
1 江戸時代から家元活動を続けている
2 本拠地を動いたことがない
3 分裂や分派、又は合併、中断、再興を経験していない
4 流祖と血筋(家系)が繋がっている
という条件を全部クリアしている流派は一つもありません。その点、京都は三千家、藪内流共にこれを楽々クリアしています。表千家から、江戸千家が独立したり、宗鎮流や近代の多少の独立はあり、裏千家が速水流の独立を許していますが、これは全然状況が違います。武者小路千家が明治期、家元不在が一時ありますが、20年ほどで甥が継ぎ、流儀が中断とか再興とかいうものでもありません。藪内流に至っては何にも変化がない。こういう伝統、千利休の直系又は兄弟弟子の子孫というブランド、組織力の強大さ(ことに裏千家の)には、やっぱり関東勢は今のところ、かなわないようです。まあ、果たして、二百年後はどうでしょうか。
萍亭主