さて、不白系の諸派について眺めておきましょう。共通しているのは歴史が浅く、そのためどうしても成熟している感じがないのです。

   浜町の川上家は、明治期に活躍した蓮心宗順が明治41年に殁した後、次女素蓮が家元を継ぎました。女性の家元のはしりかも知れません。しかし関東大震災で浜町は焼け、茶家を廃業し、素蓮も昭和初期に歿しました。三十年の空白ののち昭和27年、宗順の孫が門下により7代家元として擁立され、この時から表千家不白流と名乗り、高円寺に本拠を置きました。この家は先祖が筑後久留米二十一万石の有馬家の茶頭を代々務めた関係から、九州地方や、沖縄に支部があるようです。現在、8代。

 石塚流は、初代宗通から代々、豊後竹田七万石の中川家の茶道を務めました。4代宗通が明治末に歿し、子孫がなく絶家、辻宗謙が5代を継ぎますが大正末に歿して家元はなくなりました。昭和42年、いろいろな事情で、草野宗興が再興し6代家元になります。この時、辻宗謙の子孫に名義譲渡料として十万円が支払われたそうです。現在7代。

   渭白流は、川上渭白家が5代まで続きましたが明治で断絶。詳しい経緯は知りませんが岸田劉生(画家)の妻が、昭和時代、6代渭白を名乗り復興、子孫が現在9代を称します。

   都千家は、一元斎に学んだ大分の女性、森山宗江が、ホテルニューオータニのオーナーなどの後援で昭和25年創立。現在3代。

  横浜の江戸千家新柳派は、蓮々斎の兄弟弟子であった杉崎雪英の子孫が昭和34年に創流。茶道雅流も表千家不白流の分派のようです。調べてみると、表千家不白流や都千家には同名の分派があるとか、蓮心宗順の兄弟弟子、関不羨の系統に千家表流と名乗る数派があるとか聞きましたが、共通して言えるのは、戦後の復興か創立という歴史の浅さです。

    私の乏しい経験では、各流の点前ゃ茶風の違いはよくわかりません。もともと不白という同じ根っこからの別れですから、似ているのは当然ですが、各流どういうところに独自の自己主張があるのでしょうか?

 伝統ができるまで少なくとも百年、それが茶の湯の世界と言わざるを得ません。

     萍亭主