話が一寸それますが、茶室というもの、何故こんなに移築が多いのでしょう。小さいということ、主屋から独立して建つか、切り離しやすい付属棟なのも大きな理由でしょう。昔の茶室は、土台がなく石の上に柱を立てる、簡易建築が草庵の本来だったと聞きます。それに加えて、伝来、継承が重んじられる茶の湯の世界では、尊敬すべき先人の作ったものは受け継ぎたいという思考が強く働くのでしょう。物を無駄にしない茶の湯の精神もあるかも。

   同じ場所に建ち続けているようでも、結構、細かく移動している例も多い。京都の寺の茶室など、よく聴いてみると境内の中をあちこち移転している例は沢山あります。ひどく遠方や、回数も何度もという引越し茶室も数多い。

   私は茶室引越しの現場も手順も知らないので、想像するのみですが、解体で壁などはどうしても落ちるでしょうから、そこは塗り直すのでしょうね。昔、トラックや鉄道のない頃は、船の利用は当然ですが、あとは大八車?そう言えば、如庵の引越しの古い写真に牛車を使っているのを見た記憶があります。

   よくご存知でしょうが、国宝の如庵は、建仁寺内正伝院にあったものが、明治初期、廃仏毀釈の煽りで、同寺内の永源院と合併されてそこに移り、明治41年に三井本家に買収されて赤坂本邸に移転、昭和12年から五年がかりで大磯別邸に移築、昭和40年に名鉄が現在の犬山に移しています。三井家は、移転の際、露地の手水鉢や灯籠などの付属品は勿論、庭の大きさや建物の立つ方向まで忠実に再現し、それは、その後の移転でも踏襲されているそうですから、さすがは国宝です。しかし、引越しの際、灯籠、手水鉢なども一緒にという例は他でもあるでしょうが、垣や樹木まではどうでしょう。茶室というものは、最初に建った場所に最もふさわしい景観として作られる筈です。移って良くなる場合もあるかも知れませんが、私たちが移転前の様子を想像するのは難しい。原形の良さはわかりません。東博の転合庵や春草盧を見ると、当初の様を知りたいものだとつくづく感じます。

   勿論、周囲の景観が変わろうと、茶室そのものの建築学的、資料的、歴史的価値は変わらないのでしょう、だから大切にもされる。でも少し極端な例えですが、鴨川にパリのアレクサンドル三世橋を移築したら(以前、レプリカを作る話がありましたね)、橋の文化的価値は変わらなくても、さて、どんなものかという感じに繋がるような気がしないでもない。茶室の移築も手間だけでなく、いろいろ、問題があるかも。

       萍 亭主