東京に残る、明治維新前の茶室は、先回までの都指定文化財の三軒以外に、東京国立博物館の所有の「六窓庵」と「春草盧」「転合庵」があります。本館の裏手にありますが、貸し茶室になっているので、行かれた方も多いでしょう。
私は、この茶室、少なくとも六窓庵くらいは国指定の文化財になっていると思っていましたが、調べてみたら何にも肩書はありませんでした。あれっという感じです。
六窓庵は、奈良興福寺塔頭慈眼院にあって荒廃していたのを、初代館長町田久成が買い取り明治10年に移築したと聞きます。この時、実は買取候補に今の国宝、待庵も上がっていたが、農家が納屋で使用中で荒れようもひどかったので、町田はこちらを選んだのだと聞きます。待庵の方にしていれば、東京に国宝茶室が存在したかも知れなかったのに!東博の本館をコンドルが建てたのは明治15年ですから、この茶室はそれより前に上野に来ていたわけで、ここの古株ですね。金森宗和好みの三畳台目で窓の数からの名前ですが、本来は付いていなかった東山名物四方仏の手水鉢(平安時代のもので、この手の最古の物だとか)、大久保忠順(下野烏山藩主)邸にあった朝鮮灯篭、通称おばけ灯篭とか、古筆了仲設計の容膝軒という待合などが付属して、露地もあり、見どころの多い席です。
他の春草盧は、治水、北前船で有名な河村瑞賢のもの(貞享くらいですか)が、明治期、原三溪、松永耳庵と渡り、耳庵から寄付されたもの、転合庵は小堀遠州が伏見六地蔵に作ったもので、茶入に因む由来があり、明治期に東京に移築され、渡辺清、三原、塩原又策と財界数寄者を経て、東博に寄付されたのは56年前で、上野では一番新参です。詳しくは東博のホームページを見られれば・・・私もそれ以上の情報を持ちませんので。
この三茶室、私は茶会で何度か伺っていますが、いつも大寄せのぎゅうぎゅう詰めで、正直、十分に茶室の雰囲気を味わったとはいえません。転合庵は本席の二畳台目の方は覗いただけで、付属の四畳半に入っただけです。春草廬も三畳向切には入れず、付属の五畳でお茶を頂いただけ。まあ六窓庵が本席に入れ、路地が深いので、雰囲気が一番ありましたか。
でも、この三茶室、由緒、古さなど、天佑庵、一円庵等に劣ると思えませんが、何故、文化財に指定されないのか、私には謎です。
勿論、古いものだけが尊いわけではない、近代建造物にも価値あるものはあります。文化庁の登録有形文化財には、茶室では大橋茶寮、五島美術館の古経楼、富士見亭が登録されています。これも、でも何故、負けずに素晴らしい根津美術館や護国寺の茶室が登録されていないのか?疑問が湧きます。こういう制度に弱い私にはどうも不思議です。
萍亭主