都有形文化財茶室の最後の一つ、半床庵は、文京区千駄木の武者小路千家東京出張所内にあります。
この地は、元は久米氏の邸宅で、茶室は、明治大正の実業家久米良作氏(鉄道関係や東京ガスの社長)が、名古屋から移築したものです。久米一族は今も、武者小路千家の重鎮で、その縁でここが東京道場になったのでしょう。
移築の時期は、関東大震災より前だったようですが、詳しい時期は私は知りません。移転を斡旋したのは、大正末年に歿した福地宗実という久田流の宗匠だったそうです。この茶室は久田宗全好みと言います。久田家は元々千家と深い関係がありますが、宗全は千宗旦の娘の子、つまり孫です。その子孫は二つに分かれ、京に残った家は高倉久田として表千家の脇宗匠となり、もう一つの両替町久田は、名古屋、東海地方を地盤にしました。この茶室は誰がいつ作ったかも定かではないのですが、名古屋の久田流関係者なのは確かでしょう。
この茶室は「天の川の席」という別名の方が通りがいいかも知れません。現在の高倉久田家にも半床庵という同名の茶室があるのですが、形状は全く違い、こちらは別名の由来のように、かなり奇抜な席なのです。どう奇抜か、図面なしに説明するのは難儀ですが、二畳台目(正確には一畳と台目畳二枚)で、向切逆勝手の席で、真ん中に台目の点前畳があり向こう板が前に入っています。茶道口は点前畳の真後ろに(突っ込みで)あり、茶道口から見て左側に一畳の客畳、台目の下座床が客畳側に茶道口と並んでいます。茶道口から見て右側には、もう一枚の客畳、その先には躙口がある。左側客畳の先は、躙口とならぶように、細い二枚障子の貴人口があります。障子は向こう板の半分くらいまであり、躙口とのあいだの残りは小壁です。という
正客や次客は、躙口を入ると、向こう板を渡り、茶道口から向かって左の客畳に入る、その他の客は、向かって右の客畳に座る、 仲がいいはずの客同士が点前座で隔てられるので、牽牛織女を隔てる天の川の席。
うーん、ややこしい。こんな説明で分かりますかね?無理だろうなあ!
ああ、疲れた、続きは次回。
萍亭主