昨日、我が家のささやかな初釜が無事終わりました。

  茶会としても勿論ですが、内々でも、今年になって初めて炉に釜を掛けたわけで、昔の茶人に「遅過ぎ!」と叱られそうですが。

 釜と言えば、先回、「釜日」という言葉に触れましたが、「在釜」という言葉、ご存知でしょうか?釜が在る、つまり、釜を掛けている状態ですが、辞書には「茶会を催しているのを知らせる言葉」とあります。この言葉も、少なくとも東京では死語になっているのではないでしょうか?「本日在釜」などと紙に書き、門前に張り出すのですが、私は東京では一回も見たことがありません。京都では、一、二回見かけたことがあります。40年ほど前、京都で建仁寺をぶらついていたら、この紙を貼った塔頭がありました。恐る恐る「お茶、頂けますか?」と飛び込んだら、入れて下さいました。勿論、茶券を買ってですけれど。 京都では今でもこんな風習があるのでしょうか?私の見聞では東京では皆無です。考えてみれば、誰でもおいで下さいということでなければ、「今、茶会やってるぜ」と威張るのも無意味なわけで、その会の会員以外には茶券は手に入らないとか、茶券は原則事前購入とかいうシステムが出来上がっている現状では、文化祭などの公的な茶会か、百貨店などの催しの添え釜でないと 、飛び入りは難しそうです。

   一体、この言葉はいつから出来たのでしょう。大寄せ茶会がなく、茶会と言えば今で言う茶事しかない江戸時代には、ありえない言葉だったのでは?客の不意の来訪にもとりあえず薄茶一服でもてなすとか、酒宴の後、茶を一服というのは、江戸時代にも盛んですが、これは茶会ではない。  どうやら、明治以降、大寄せ風な茶会が出来た頃に作られた言葉では?その頃には自宅の前にこれを掲げる茶人もいたようなのですが、しかし、さあ誰でもいらっしゃいというのは、茶人として相当な覚悟が要りそうな気もしますねえ。

 無駄話の続きはまた明日。

     萍亭主