私の勉強法2015 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

学ぶことを(自他に)「しつける」ことが、教育だと、今は思っている。

というわけで、勉強法を、パッケージにして、そこへと向けてしつけるべき目標としようと思うわけだ。

これから次第にパッケージを改善していけばよい。

いま、それは正しくなく、非効率かもしれないが、そうであっても、「私なりの勉強法」を、すべての教育者は、もたねばならない、のだ。


まずは、「座学」、だ。


01.座学編


a.「価値」の形成

読むことと書くことを、積み重ねる。

継続は力、なのであって、モチベーションが問題になる。

初学時にモチベーションの根幹となるのは、「価値」だ。

なぜ必要なのか、なぜそんなことをわざわざやらなくっちゃあならないのか、ということが、価値だ。

だから、価値の導入を、必ず用意するべきだといえる。

自分で勉強するときにも、「価値」を形成するようにしよう。

世の中ではなぜ必要とされているのか、ということと、自分にとってなぜ必要なのか、ということをしっかり分け、両方とも確認しよう。


b.how to study本を読む

勉強を進めていく際のマップになる。

最近、英語教材完全ガイドという英語勉強本がアタリだった。

http://amzn.to/1C2T5GG


ハウツー本はピンきりで無内容なものもあるので、中身を確認してから購入しよう。

読むだけ読んだら、まずはcへ。


c..基礎固めとしての中学高校教科書

基礎的な知識には、中学の学校教科書が、結局、よい。

教科書なら、大久保にある第一教科書で購入できる。


教科書供給、販売なら第一教科書へ

http://www.daiichikyokasho.co.jp/index.html


一冊だと抜け・漏れの「偏り」がある場合があるので、すべての出版社から、同じ内容を扱った教科書を買って、学ぶとよいだろう。


頭で理解したら、手で覚える/手が覚えるまで演習だ。

教科書準拠のドリルを探してがんがんやろう。


一通り終わったら、高校の教科書・参考書とドリルにステップアップだ。

やることは同様。


d.それ以降

高校程度が身に着いたら、つぎに「新書・雑誌/選書/一般書/専門書」にあたるとよい。

新書・雑誌こそ、大いに内容に偏りがあるわけだが、基礎知識を固めた段階にくれば、問題ないだろう。

新書を読むメリットは、一般書・専門書の導入によい、ということと、最近の流行や社会・世界の関心の方向がおおづかみにわかるということだ。

一般書・専門書は、じぶんで勉強会を企画したり、その書を扱っている講義やゼミに参加するのもよい。

難しい本ほど、読書記録をつけるべきである。


僕は「読書メーター」というサイトを使っている/た。

読書メーター - あなたの読書量をグラフで記録・管理

http://bookmeter.com/


e.資格試験について

上記の勉強に並行して、勉強内容に対応するものがあれば、資格試験を利用しよう。

試験によって数値結果が現れることは、進度のマネジメントに役立つのみならず、モチベーションにもなるからだ。

しかし、試験はあくまで勉強の手段なのであって、それ自体が目的ではないことは留意したい。


02.実践編

知識は能力に深化され、実践の中で験されて初めて、活きるといえる。

実践経験を積むには、学生ならアルバイトやインターンによって「お金をもらって勉強できる」。

または、金銭を払ってサービスを購入するか、である。


03.前提としての国語

インプットの前提として、それを下支えするのが、言葉の力である。

当然だが、読み書きは言葉を通じてなされるものであるからである。

ひとつは論理力で、もうひとつは語彙力である。

論理力を磨くには、まずは、国語文法を学ぶこと、と、論理トレーニング本を学ぶこと、がある。


「論理トレーニング101題」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2010/08/101-7dfa.html


国語文法を学んだら、次にこの本をやってみようと思う。


語彙力を磨くには、語彙ノートを作ることだ。

灘高校の元教諭である橋本武さんの「『銀の匙』授業」のように、さまざまな本に用いられている言葉を大切に拾って、ひとつひとつ辞書で引いてノートに記録していく。

語彙が身についているかどうかの評価基準は、「小学生に易しい言葉で説明できるか」である。

できなければ、その言葉は実は、ぼんやりと理解はされても、自分がアウトプットする言葉の中には使われていない可能性が高い。

それは語彙が貧困だ、ということに他ならない。