煮詰まった。
ぶっきらぼうに、実に噛み砕いた語り口で、しかし、格好つけることは忘れずに語ること
が、大事
そういうものが、ドライブするのであるとおもう
たくさん書かなくてはいけない
回ってきた
羅生門、偸盗、報恩記、鼠小僧次郎吉
まずは、盗賊の話である
イエスの代わりに釈放されたバラバは、どうなったのだろう
炭鉱に向かうのは後世の創作だろうか
偸盗において沙金を殺した兄弟は、どこかへと去っていく
彼らは、交野平六の曲がり角にいる
ここで龍之介は何を問題にしているのか
ミソジニーは、まあ、ご指摘のとおりあるわけだが、
母への愛と娼婦への軽蔑のみならず、母への軽蔑と娼婦への愛もある
いや、もちろん、それしか表象がないことは貧困である
一塊の土での働き手としての女というのもある
共同体への貢献としての墓掘りで死んでしまうのだが…
勇気、軛を断ち切って、生きるための奪取への跳躍
「死体」を前にして開き直った勇気が湧いてくる
そのためらいとしての「身体」の闖入
龍之介の邪魔でしかないのだろうか
この弱い身体を捨てたいということか
「酒虫」は、内なるおぞましさ、動物的生活力の源泉としての酒虫だ、とおもう
それは、やがて狂気へと至る、DNAという爆弾の表象でもあるかもしれないとおもう
龍之介の濡れた身体というものも重要
指摘のとおり、羅生門における下人の面皰、太郎の疱瘡、鼻や芋粥の涎等
やがては河童に至るだろう
歯車もレインコートだ
濡れた身体は、水死体にも通じる
それは「大川」の百本杭における土左衛門から、尾生、奇妙な再会における金さん、妖婆の自殺者、沼はもちろんそのまま、蜃気楼のタグ、素戔嗚尊における、力比べで死んだ蟹のように岩に潰された男まで通じているかもしれない
沼における、口から咲いた睡蓮の花は、往生絵巻の末尾、法師の口から咲いた蓮華と通じている
戯作三昧では風呂に入っている
火をめぐる人々が「作る人」なら、こちらは、尾生に顕著な「待つ人」であり、「探す人」だ
だからためらい、迷う、懐疑する、あるいは信じて待ち続ける
対極か?
口から出てくる蓮は美しいか、人を迷わすか
懐疑では生きられない
行動する人、放火
老婆
猿・鴉・蟇
妖婆、奇妙な再会、妙な話、アグニの神、運
老婆とはなんだろう
猿のような狡猾さ、鴉のような邪悪さ、凶暴さ、蟇のようなふてぶてしさ、腐敗
のしかかってくる家であり、軛、自由を束縛し偸安の念を抱いている
二つの手紙、影
まだ読んでいない
火でも整理してみよう