歴史的仮名遣いについて
漱石無頓着
鴎外規範意識がつよい
漢語のうち十分に日本語化しているものについては歴史的仮名遣いを教えるべき
数は限られるのだから可能である
寺子屋
書くことが土台
江戸時代は自給自足できず貨幣経済への参与が要求される社会
文書による契約が原則だから書く能力必須
ほかにも、共同体の年中行事なども教えた
きちんとひとりで生きていくことができるような能力を身に着けさせる
村共同体の基本は、小農生産条件である採草地としての山と灌漑用水の共同利用である
食うための条件がある意味で人質にとられているから年中行事にも否応なく出席している
いま、都市は、べつにそいつを相手をしなくても食っていけるひとたちに囲まれているから付き合いがない
それはそういうものだというべきかもしれない
江戸時代という長い平和を通じて「家」が成立
家の条件は平和であることを想起すべし
江戸時代の平和は権威(天皇)と権力(幕府)の二元化
武家・公家・寺家との鼎立がバランスして成立している
徳川はこれを意識的にやっている
すなわち、武家諸法度、禁中並公家諸法度、諸宗本山本寺諸法度である
若者組
非文字文化
秘密結社、規律は文字化されず口承された
ろくでもねえと思うが、
子供を一人前にするために重要な装置であった
「儒教は、血のつながりを基本にした宗教的な愛や道徳のエネルギーを、血縁以外にも拡大することによって文明共同体の構築維持を企図する思想である」
西周
国の独立が、個人の自由平等幸福の絶対条件
それは今日もあまりかわらない
資本の国家間競争が個人の生き死にと結びついている
国家ではなく個人の競争だ、と言いたくなるが、でもそうではない
国家の枠組みはどんどん強化されている
批判主義的合理主義