0113 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

『さようなら、ドラえもん』って、原子力で動くとってもベンリなドラえもんに頼ることなく、ジャイアンという絶対的強者に、のび太がぼこぼこにされながらも辛うじて勝つという話だった。

歴史的な筋を通すべきだというのであれば、対米独立以外ありえない。

戦後的な「ねじれ」の解消である。


しかし、ほんとうにそうすべきなのだろうか。

8.15と3.11の原因が日本的なるものであることは説得される。

でも、選択する主体のほうも変化の中にあるのであって、歴史のなかで身体の処し方を自由に出来るのか、よくわからない。


歴史のなかの主体は悪ではないか?


出来事が語りの契機であるのではない、語りがそれに先立つ出来事を構成するのだ。

物語ること=読むことは闘争である。

意味はつねにひとつである。

多様な意味は同時には不可能だ。

ある意味があらわれているとき、べつな意味は後景に退く。


悪も勇気も自由についての問題だとおもう。


まあドラえもんかえってくるんだけども。