そこにはすべてがあった。
我々は名も知らぬ山を越え、名も知らぬ川を渡り、名も知らぬ街を抜け、みんな知ってるコンビニで買い食いした…。
あんまり、「これが言いたい!」ってことがない。
歩く前は百キロってどうやったら歩けるのだろうと思った。
それはね、歩くだけ。
歩くしかない。
誰も代わってはくれない。
というか、べつに歩かなくともよい。
では、歩きたいから歩くのか、と問うなら、それもちがう。
「有意味性」ということが果てるところがある。
百ハイとはなんなのかということは実際に歩いてみなければわからないけれども、それは「だから歩いている奴がより偉く、歩いていない奴がより劣っている」ということを帰結しない。
ここがおもしろいところだとおもう。
「意義ある無意味」、といってみる。
ただし、そこには「よい意義」もない。
無意味、と、強くいうことによってその虚無性を顕彰するのも誤りである。
「それ」はなんでもよいのかもしれないし、なんでもよいわけでもないのかもしれない。
ほんとうによくわからないのだけれど、大隈像前のゴールにたどり着き、先輩にBJKのビニールシートに連れて行ってもらって、アスファルトに座ってバカ騒ぎする人々を見渡したとき、「それはよき行いなのだ」と強く想われて、ちょっと涙がにじんだ。
もうすこし考えてみたいとおもうけれど、そこでは何かひじょうにラディカルなことがするどく指し示されているようにおもわれてならない。
*
百ハイに一年のうちに参加できてよかった。
ぼくははじめに百ハイの話をきいたとき、「バカなんじゃないか」とおもった。
これはいま思えば誤りであった、大変申し訳ない。
訂正させてもらおう。
「バカみたい」なのではない。
「バカ」なのである。
*
月曜日、両足小指の爪がとれそうになり、左足の脛が腫れ上がり、右足のかかとがきりきりと痛んでいた。
火曜日、午前中にお医者さんにかかったところ、炎症は起きているものの、でも炎症が起きているだけであることが判明→異常なし!
午後、稽古に出席させていただく。
夜、スピリタスを舐める程度にたしなむ。
夜中、油そば。
水曜日、授業に出るもぐだぐだしている。
いま、足がだいぶ快復していることに気がつく。
「稽古に出ると自己治癒力が向上するんだよ」仮説を信じている。
ほんとだもん。
*
参考(2011/06/22に閲覧)
仮装大学生100キロハイク:NHK埼玉動画ニュース
http://www.nhk.or.jp/saitama-news/20110618194252_02.html
大学生 仮装で100キロ歩く NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110618/k10013613601000.html
やる夫の100キロハイキング 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1053.html
(ぼくは287のファミマでつぎの日の朝食を買いました…)