シークワーサーサワーはねぇ、すごく言いづらいとおもうよ。
うーんとね、M先輩と話していると、口調がだんだん似てくる!
こんな感じなような。
四つ思いついたことがあった。
秘伝虎の巻を求めること。
「秘伝虎の巻」的なものってあるよね。
困ったことがおきた。
それを解決したい。
どうしていいかわからない、というかどうしたらいいかを考えられない。
だから一回で一気に全体が劇的に変わる方法をふらふらと捜し求めてしまうことがある。
うん。
でも、仮に「秘伝虎の巻」的なものを手に入れたとしても、つまりなにかしらのいみで本物を、ということだけど、そこに書かれていることは次の一語以外ではないとおもわれる。
それは、「成長せよ」。
一回で一気に全体が劇的に変わることというのはただひとつである。
それは私自らが刻一刻とあまりにも変わりゆきつつあることを知ることである。
そのときそのつどわたしたちは一気に全体が劇的にかわりゆきていることを知るのである。
成長せよ。
「大いなる謎」は先生だけでよろしい。
兄弟子・姉弟子のみなさんにはそうしたものとしてあることをぼくは全く求めない。
どうしたらいいんですかと訪ねられたら持ち合わせている限りの言葉を尽くすべきだし、せめてそうした努力をすべきなんだ。
「自然に」ってのは先生以外許されないだろう。
わるいけど怠慢だとおもうぞ。
「大いなる謎」って、集中しているべきだとぼくはおもうんです。
ある種の擬制的な焦点なのであって、やがて醒めるべき「目がける的」として「はじめて」可能となるからです。
ただし、さきにここで考えたように、「兄弟子・姉弟子」以外の文脈においてはおなじものがしかしべつなものとして現れうるだろうとおもいます。
みなまではいわない。
けれどもわかるひとはわかっている。
成長せよ(笑
ねむたいので後半ふたつはまた明日。
あれ、ひとつ思い出せないぞなんだっけ…。
明日2限からだ!わーい。