もう一歩の踏み込み | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

忘れてゆくこと。

忘れてゆくことを肯定しうるか。


眠気を覚える人間は回復の可能性を残している。

死線をくぐり抜けて、それでどうすればいいんだろう。

生活を改めるべきこと、生の充実という観念を書き換えるべきこと。

雨の日を想え。

うん。


叡智の言葉と勇気の言葉。

卑小な生を生きるべきこと。


なんで?

より誤りてあること弱くあることを肯定することが針の穴の出口だから。


あと一歩。

「何かをさがすことは結局、さがされるべきものはそれではないことをわたしたちに教える。私たちはそれが探されるべきものではないからこそそれを探しているのである」こと。

その弱く誤りやすいこと、探されるべきでないものを探していること。

換言すれば、探しものをするも当の探されているものが明らかでないこと、なにを探しているかというまさにその目的が隠されていること。

むしろそれが私達の生をぎりぎりのところでつなぎとめること。


いまはだめだ、ここまでだ。


武道はニーチェに対面して尚そこに踏みとどまることができるか。

ぼくはあるひとつの潜在的な要素については可能であるだろうと考える。

それは、技の稚拙をも、力の強弱をも後方に残していく地点。

もはや自己陶冶をも捨て去った地点において。

中島敦、名人伝。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html