輪番停電の順番が回って来なかった。
とくダネ!によれば、東京電力は第2グループの停電を見送ったとのことである。
おかしいでしょ、そりゃ。
たぶん遠因になっている福島原発について。
原発についてまったく知識がありません。
ですから、ぼくには判断できません。
テレビ等における専門家の方の解説では最悪の事態は回避されたのではないかとのこと。
ぼくはその判断に従う。
被曝のリスクを引き受けながら現場で死力を尽した担当者の方のおかげなのだろうとおもう。
どうもありがとう。
一般に停電について。
そりゃいやだよ。
なにがどうなろうと一般的に言って、停電はいやです。
ぼくは山で生活したいなんて毛頭おもわないもの。
あるいはなんていうか野性的に生きていけるいわば包括的なキャンプ・スキルを涵養しておくべきだっていう向きが幅を利かせているけれど、なんか短絡的な気がする。
たしかに、技術の価値を「非常時に使えるかどうか」に求めるっていう態度は理解できる。
でも「未曾有の大災害」を前提して一切を構成する人はまさに「未曾有の大災害」が訪れると「それみたことか」ってふんぞり返るわけで、とすると常からその人は、自説の正しさを証明する「未曾有の大災害」の到来を無意識的に望むようになる。
それが知性なのかと聞かれたらぼくはどうも怪しいような気がする。
話が逸れた。
停電はいやです。
ぼくみたいなもやしっこは停電なんかしたらマジ生きていけないとおもうわけです。
でも一方で、まずは輪番停電のように管理された停電であるならば、一時的に電気がないならないでまあ大丈夫ではある。
食事の時間をずらす。
ずらせないならパンやバナナを食べればいい。
昼の停電なら本を読んでいればいい。
夜は寝るか、携帯ゲーム機で遊んでいればいい。
全面的停電については、もっといやです。
ぼくたちは直線的な時間感覚を内在させている。
だから、停電といういやな事態がいつ終るのかというスケジュールが明らかであると、なぜか我慢できる。
直線的な時間感覚と円環的な時間感覚の優劣って誰にもいうことができないとおもうんです。
だから停電の出口が見えていると停電に耐えられるということはぜんぜん合理的ではないとおもいます。
つまり輪番停電によって7時間停電することと自然停電によって7時間停電することとのあいだには物理的な差異はないけれども私たちには後者の方がよりひどいと感じられる、そういう主観的な合理性がある。
じゃあどうすればいいのかというと、あれ、よくわからなくなる。
「ままならない現実」を受け入れるしかない?
でもそれってべつのレベルにおける解決のような気がする。
計画停電の方法について。
昼にして欲しい。
→でも企業は仕事にならなくなる。
繁華街だけ停電にして休めばいい。
→これはその背後に「余暇産業/基礎産業?」の別が前提されているけれどその境界を分節する線は自然のうちに自体するものではない(「自体する」っていう動詞をふつうに使ってたけど調べてみたらないのね、そんなことば)。
どこまでが緊急時に無用な繁華街でどこからが生活を基礎的に支えるライフラインなのかその判断は誰がするのか。
というわけで計画停電の方法についてはぼくはまったくわからないので専門的担当者に一任します。
ってか気に食わなくても計画停電は計画停電として実施されるのであって、では積極的に承認していることにしたほうがお得なのである。
計画停電の見送りについて。
朝令暮改。
信用は落ちる。
落ちるけれどもべつに落ちようが落ちまいが電力の供給を絶てばそれまでの話なのであって、だからどうしたというのか。
うん。
でも一度決めた計画を改めてしまうと、停電しなくてもいいのに停電しようとしていた、または停電しないといけないのに停電できない、いずれかであることが明らかになる。
だめじゃん。
第1グループは実施したのだからアンフェアじゃんか。
ま、停電していないからこうやってインターネットが利用できるんだけどね。
ところで、こうやってないなりに頭を使おうとすると、仙台で津波に遭った人を想起せよ、停電程度で文句を言うな恥を知れ式恫喝が横行する。
かく言うあなたは誰なのか?
無垢で無謬のポジションをとろうとするなよ。
そもそも計画停電自体(こちらは正しい用法)、暗裡に「馬鹿は節電できない」という前提を採用している。
それがすでに破綻しているとおもうけれども、何を言ってもやがて停電は訪れるだろう。
バカみたい。