いつも読んでくれている人は、よっ!
はじめて読んでくれた方は、どうもはじめまして、ひょろと申します。
なにか間違ってここに入り込んでしまったそこのあなた。
ぼくはきみをこそ待っていました。
あ、ちょっとだけ、閉じるのを待って。
もう少し読んでみてください。
ぼくは、あなたがこのブログを読むべきか否かをここで考えようとしているのです。
ぼくの意見を聞く前にこのブログの画面を閉じるべきであると、あなたが確信しているならば、その理路をぜひお聞かせ願いたい。
…えらそうですね。
そうなのです、ぼくのひとつのメリットは態度がでかい点にあります。
ふはは、読め。
さて、ここではとりあえずなにをよめばいいのかをメモしておきます。
大まかに言ってぼくが書くものの中には、ふたつあります。
ひとつは「公共的な文脈」、もうひとつは「個人的な文脈」。
ぼくが苦しもうが悩もうが、あなたは知ったこっちゃないですよね。
や、まあ、いいのです。
やさしいあなたはぼくが書いたものを読んでいるあいだ、一時的に「きのどくにね」くらい思ってくれたりくれなかったりしても、さて、お夕飯の準備をしなくちゃ、と思って画面の前を離れた瞬間、ふっとみんな忘れることと思います。
人間ってそういうもんです。
そして、だから、表現としての優劣があるんじゃないかと思うのです。
優れた表現はそれに触れた人間を不可逆な形で変成してしまうことがある。
洗練というのはあるいはそういうことじゃないか。
しかし、一方で、ぼくが書いたものの中にはぼくにぜんぜん興味がない人にとっても、少なからず何かしらの意味をもつ文章というものも、あるかもしれない。
それはわかりません。
結局はないかもしれない。
しかしないと言い切ることだってできないのです。
それが他者ということだと思います。
ぼくが個人的に、他ならぬぼく自身として、余人を以っては変えることが出来ない「オリジナルなもの」として、まるで他にはありえないような誰にも理解できない独自的な悩みを抱え込んで、他の誰よりも苦しんでいるのですよ、なんていうふうにこれ見よがしに嘆いたとしても、しかしそれもまたある「定型性」を有し、「普遍性」を辿るのではないでしょうか。
ややこしい言い方をしました。
つまり、「あたしの苦しさはあんたたちにはわからないのよ!」と言い張りながら、自己顕示欲を満たすような文章というものが、ぼくは腹の底からきらいなのです。
ぼくもそのすれすれのところを行っていると思いますが、まあこうやって明示的に言及できるという限りで、ある程度のセーブは見られる。
「公共的な文脈」というのはどういうことか。
それは、現代日本における支配的なイデオロギーを解体するにはどうすべきか、という問題へと通ずるように、ぼくの問題が再解釈される編集の水位、ということです。
つまり、ぼくがなにをどうしようが知ったこっちゃないわい、というあなたにもすでに関係している、というようにぼくが語ることです。
なんと押し付けがましい!
でもこれもしょうがないんです。
ぼくは謝るしかない。ごめんね。
個体は社会化されないといけないのです。
あれ?なんの話だっけ?
ああ、何を読めばいいのかってことでした。
よし、アスタリスクマークをおこう。
*
ほい。
本編です。
あのー携帯から閲覧している方には申し訳ないのですが、
とりあえずパソコンから接続したときに表示される「テーマ」というものによる
読み方をかきます。
すいません、今回てぬきなんであんまり時間をかけられないのです。
ブログテーマ一覧にはなにやらわらわら分類が設定されています。
ぼくがやりました。
読んでくれたらいいのは、「明日の神話」ってとこから下のやつです。
ぼくはなんとなく、日常的な些事をぼんやりかりかり書く、記事ならぬ記事と、一応ある程度のリーダビリティを付与せんと思って書いた記事と、ふたつを分けています。
とくに分類せず「ブログ」に放り込んであるものは、あとで読み返しても何言ってるかわからないものが多い。
対して、あるテーマというかシーズンタイトル?を貼ってあるものは、比較的読める。
そいで、ぼく、こんなことを書こうとしてたんです。
引用、長いです。
引用部分は読まなくていいです。
斜体じゃなくなったところから読むのを再開してください。
なにか長いことをもごもごいおうとしていたんだ、という雰囲気だけひろってください。
次のアスタリスクが目印とか
えーと、まず趣旨をご説明します。
このブログでは、ぼくこと「ひょろ」が、主にエッセイ(かな?)を書いています。
基本的にはそれぞれの記事は独立して読めるように書いています。
でも、思考のモチーフというか、マテリアルというか、道具的概念というか、繰り返し登場するイメージみたいなものがあります。
そういうものはこれまでの記事を追って読んでいっていただければ、もう少しお伝えすることが出来るかな、と思うのです。たしかにぼくが文章の技巧を磨いて、もっとわかりやすく概念化すべきだというのはその通りですが、でも一方で、言いよどむことの中に宿るものがあるのではないか。
それで、どの過去の記事を読めばいいのか、ということをここでご紹介しようと、ちょっと自作解説のようなものをやってみたいと思います。
それでですね、なんでこんなことをしようと思ったのかということも書いておきますと、
ぼくは先の記事で「批評」というのをひとつ、自分の仕事としてみようと思ったんですね(必ずしも職業ではありません)。
『批評とはなんだろうか』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10718765747.html
(いえ、まだそんなに律儀にリンクをひとつひとつ追っていただかなくても大丈夫です。そもそもあなたがこのブログを読むかどうかを決める前に(!)とりあえずこの記事をざっと読んでいただければ、と思います。)
その対象はまず自分でなくちゃいけません。
それがまずひとつ。
ふたつめは、ぼくの個人的な文脈にある問題が、ひと段落着いたな、ということ。
『こうもりくん、暗躍す』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10713358733.html
みっつめは、新しくこのブログに訪れてくれる人の数が増えていること。
アメーバブログには初心者でも簡単に見ることの出来るちょっとしたアクセス解析の機能が予め設けられています。そこを確認してみると、ユニークユーザー数(アクセス数ではなくきてくれた人数のことです。同じ人が熱心にたくさんの記事を読んでくれることもありますよね)が向上している。
九月の、一日の最高ユニークユーザー数は220人、
十月は218人、十一月は270人、となっています。
まだ今月は残りちょっとありますけどね。
九月と十月はほとんど変化がありません。
そこから比べると潜在的読者の規模自体がちょっと拡大しています。
この(本当は「平均」)ユニークユーザー数というのは、たまたま間違って入ってきてしまった人がほとんど反映されない。
リゾットの話でここに来てくれた人は、繰り返しアクセスしようとは思わない可能性が高いですよね。
(あ、まさにそんな例外的なあなたについては、すぐあとで言及します)
だから、ユニークユーザー数が増加傾向にあるということは、特定の話題についてではなく、様々な案件について、ぼくがどのように語るかを聞きたいと思ってくださる方が増えているということを意味します。
(ふ、ふん。べつにあんたたちが読みにきてくれたってなんとも思わないんだからね!)
だから「ぼくが書いたものの中でなにを読めばいいか」を書くことにはいくらかは需要があると思ったのです。
そして、べつにぼく(ひょろ)には特に興味がなく、個々の話題について、そもそも興味が湧くものがあるかどうかを知りたいと思うあなたにとってもこの記事は有用ではないかとおもいます。
つまりぼくのブログは面白いかどうかということを、ぼくがご説明するということです。
*
はい、こちら
でも、ま、ぼつです。
めんどい。
こっからはもう好きにしてくれ。
一応おなじような試みをこれまでに三度やったことがありますが、すごく断片的・羅列的だったので、あんまりおもしろくないです。
『「道しるべ。」[←火星][→鳥の国]』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10342393789.html
『ケーキは聞く耳を持たない(「道しるべ、02」)』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10371717110.html
『どーすかΩは眠らない(「道しるべ、03」)』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10427286673.html
おまけにひとつ。
『Re:暇だからマジレスしてみた』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10342841465.html
このエントリは、えびのコメントに対するレスポンスですが、
上のエントリ(『「道しるべ。」[←火星][→鳥の国]』)の補足としてみんなに読んで欲しいです。
とのこと。
正直ぼくにも何を言っているのかよくわからないので(けっこう忘れっぽいんです)、
これについても、なんでも質問してください。
なんか、このへんを参考にしてください。
あと、比較的おもしろい記事は以下みっつみたいです。
アクセス数がぽんと多かった。
数字は無視してください。
7618/4292 576/267 11/22
『こうもりくん、暗躍す』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10713358733.html
7580/4439 10/14 536/218
『きみにお願い』
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10676280083.html
7369/4146 496/213 9/16
「人間はない」のにある、「倫理はない」のにある。
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10642734014.html
あのー、ま、いいや。
「そうやってえらそうなことを抜かすならまず君自身が今ここでできるということを示してくれよ」
たしかに。
それをやろう。
批評なるものについて、ね。