強度と洗練 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

批評とはなんだろうか

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10718765747.html


しかし、とはいうものの、これじゃ何をどうしたらいいのかわからないぜ。

まったくね。

というわけで、優れているとか、優れていないとか、それは何を以っていえるのかということをご説明したいと思います。

ぼくは「強度と洗練」という言葉を考えています。

時代の風雪に耐えうるだけの強度があるか、人間の魂を許し、憐れみ、受け入れるだけの洗練はあるか。

ザッツ・オール。


では、強度はどこからもたらされるか、洗練はどこからもたらされるか。

強度は自分にはこれ以外にないという決意から、洗練はこの道こそが必ず、まだ知ることのない約束された土地に通ずるはずだという確信から、与えられる。


うーん、待てよ。そうすると…。

さらに、決意は強度に到る、強度はフェアネスに到る。

確信は洗練に到る、洗練はディセンシーに到る。

結局のところフェアネスとディセンシーの話だったようだ。

なんだ、そうだったのか。