矛盾の話がある。
楚人に盾と矛とを鬻ぐ者あり。
うんぬん。
昔、楚の国に、盾と矛とを売っている商人がいた。
「この盾は大変に堅い。どんなものでも弾き返すでしょう。
この矛は鋭い。どんなものでも貫くことが出来るでしょう。
さあ、買った買った」
「じゃあ、その矛でその盾を貫こうとしたらどうなるんだい」
「…」
この話が教えるのは、二つの話が食い違うとき、まずはどちらも誤りとして斥けられる、ということだが、もう一歩進めることができるのではないか。
最高のもの、完全なものというのはすでに誤りであるということだ。
絶対の盾も、絶対の矛も存在しない。
矛盾、以前に、矛も盾もすでに誤りだということだ。
反って凡庸な意見かな…。
でもまあ、矛盾のイメージの鮮烈さは否定しないけれども。
・現実は理念の対極としてではなく、その一部として存在している
・完全な現実性も完全な理念性も誤りである
・欲望とは死者のことだ
・意識主体は死者に基づく
「人それぞれ」という今日の支配的イデオロギーはすでに暗礁に乗り上げている。
ぼくたちは「それぞれ」以前の「人」に立ち返る必要があるだろう。
「人間」とは「人間的性質」を備えていることであるのと同時に「人間的性質」とは「人間」によってなされたことを事後的に決定されることで成立している。
この二重性は理念と現実の相即性と共鳴している。