メモ!
金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」も、SMAP・槇原の「どうしてこうも比べたがる/一人一人違うのにその中で一番になりたがる?」も、間違っているとぼくは思う。
ぼくが思うよりも尚もこれらの射程が長い可能性はまだあるんだけど、ぼくには個人的にこれらを乗り越える必要がある。
ぼくの中の戦後民主主義的なもの、「不敗の良心的態度」が分析的な父として機能している。
八十年代がぼくにとって問題なのは、彼らが父殺しをネグレクトしたことだ。
だからぼくたちにとっても分析的な父はたぶん戦後民主主義的エートスかな、と。
閉鎖系、自律系は死者としてふるまう。
では内閉は悪か。いや、ちがう、死者は悪ではない。
風通しを妨げるものが悪だ。
いや…これもちがうかな。
あ、そうそう。金子も槇原も間違っている。
まず、比較からは固有性を導くことができない。
機能・性質の違いは絶対的ではない。
そして単独的なもの、唯一的なものは逆説的だが、ぼくたちには遍く、凡庸に感じられる。
これが大きな鍵。
それから小さな鍵。
・極端なものはシンプルだ
・シンプルなものは空間的にも時間的にも遠くまで行くことが出来る
・シンプルなものは脆い