ぼんやりマップ | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

すいません。もうしばらく時間がかかりそうです。

なのでまず青写真を途中経過として提出しますから

カンベンしてください。


こんな感じ


*


欲望とはなにか

欲望は際限がない

ク・セ・ジュ?

いや、私は何を欲するか

私は私が知らないものを知っている

求めるから与えられるのではない

与えられたから求めるのだ


倫理とはなにか

自由について

信用の構造を考えたけれども

贈与と大人の問い


倫理は欲望によって基礎付けることはできない

つまり

欲望があって倫理があるのではなく倫理があって

欲望があるのであるから倫理はそれ自体としては

欲望に対する応答ではない

倫理は欲望に応答せねばならない


倫理は宗教へと到る

プロテスタンティズムと松下・水道哲学

近代あるいは断片化と中央集権化

二つのニヒリズム/パワーとモード

ニューヨーク!

パサージュ・ファスト風土・70-80西武的なもの

45・55・69・83・95

バロックとエンドオブエンド

キャッチャーは踊る


*


プロ倫読まないと後半書けない。

こないだもちらっと言ったけど職業召命観が

わかんないんだよなあ。


そいでパサージュっていうと、

梅田の阪急しかわかんないんですけども(笑

東京-郊外の議論に接続できると思います。


郊外化、ジャスコ化、物を買わない若者って

血縁・地縁的共同体の解体と同時進行的な現象ですものね。

なんでミニバン買うのかって?

そりゃカー…ごほん。


アクチュアリテなるもののためには

説得力が必要です。

まあそれがなんなのかもよくわかりませんが、

あたかもほんとうのことであるかのような語り=騙りが必要です。

認めがたいものを認めさせるためには、

風景が変わりルールが変わったのだということを

まるで信じているように、ぼく自身がパフォームすればよい。


コンテクストの引き受け手、演者=キャッチャー。


ヤンキー文化とオタク文化があります。

このふたつが今日の日本的なものを構成してきた二大潮流である

とぼくは考えていますが、

それぞれ親米と反米に対応するのではないでしょうか。

「夜露死苦」のどこが親米なんだって思うかもしれないですが、

だからたぶんねじれてるんですよね。

元来、ストーリコミックもアニメーションもアメリカのものだしね。


あ、そうか。

オタク文化が反米であるとしたら、

けいおん!は見かけ上(仮象!)、

唯的な事態=生権力=帝国への癒合を賛美しているかのように

見えてその実、

あずにゃん的な事態=近代の(非-)超克/型としての保守への回帰

による唯的なものの打倒が「無-劇」の向こうに垣間見える「物語」

なんじゃなかろうか。


あーカードが足りない。

表現論勉強しないとカルチャーに伏流するアメリカへの愛憎論は

たぶん進められないですね。

その前段に基礎教養が必要だ。

SFと探偵小説と少女マンガと特撮を勉強しないと…。

これはもうすこし先の話ですね。時間が足りないです。


どっから手をつけたらいいのかわかんない。

クラブカルチャーとポストコロニアリズムとかかな…。

それかポーの一族を読むか。

いや、虚の中心としての天皇から勉強するか。

原さんの皇居前広場を読む。

歴史を知らないと天皇はわからないなー。日本史勉強しよう。

というか日本の歴史って結局天皇ってなんで存続したのかって

問いに収斂される気がする。

それは右から見ても左から見てもそうだよね。


それと「脳=唯」から「身体=梓」へ、ということだと

やっぱり本邦の伝統的には「虫」が必要だね。

アンリ・ファーブルを学ぶのがいいだろう。


ファーブル昆虫記はむかし奥本さんの部分訳版を読んだ。

これがめちゃくちゃおもしろいんだよね。

完訳版をそのうち読みたいな。



なんかわけわかんなくなってきた。