飽きてきた。
ぼくは先日、たしか「肝要なのは飽きないことだ」と
書いた。
ほんとにそうだろうか?
飽きることもまたひとつの能力である。
「飽きない」ことが持続の要諦なのではない。
「定型性への倦厭」こそがシステムの持続を可能にする。
じゃあ飽きるのは健全の証しではないか。
そう尋ねても答えをくれるひとはちかくにいないようである。
「つまらないことをいうな」と仰る。
そうか?
「つまらないことをいうな」という言葉ほどつまらない言葉は
ないのではないかと、ぼくもつまんないことを考える。
最近ぼくのまわりは退屈である。
しかしワイドショーとかの「識者の言葉」ほどくだらないものも
ないなあ。
なんだか転倒している。
たぶん彼らは「専門性と判断力は無関係である」ことを
体当たりで証明してくれているのだとおもう。
ご苦労なことである。
なんかないのか。
ジャルジャルが初主演の映画があった。
んー、いや、いいや。パス。
映画館いくのめんどい。
なんか「伊坂幸太郎臭」がする。
井筒和幸監督なのか。
そういえばぼくは彼の作品をひとつも観たことがない。
たぶんぼくは映画があまり好きではないんだとおもう。
なぜか。
長い。
ひとところでじっとしていられない人は映画は向かない。
あとはなんとなくみんなで盛り上がれそうなことといえば、
鳩山首相をこきおろせばいいんじゃないか。
しかし鳩山さんはどういう心境なんだろうか。
よくわからない。
それは半分は鳩山さんの説明が足りないことに原因があり、
もう半分はぼくの理解力不足である。
まあお互い様だ。
米軍基地問題も(首相の手際はともかくも)よくわからないしなあ。
近隣住民のみなさんも米軍基地がいやなら鳩山さんにではなく
アメリカにいえばいいのに。
だって、それは「米軍」基地なんだぜ。
鳩山さんの顔を立てているんだろうか。
たぶんそんなに気を使わなくて大丈夫だとおもうぞ。
それともぼくの知り及ばないなにか深遠な「しがらみ」でも
あるんだろうか。
どうもそれは内田先生の仰る「従者」という呪いであるように
思われる。
ほんとにアメリカと友だちになれる日は来るんだろうか?