なんか頭の中がもやもやぼんやりしている。
けっこういくつかモンダイをかかえているんだけど
ぼんやりしていて、ちゃんとまとめられないんだよね。
んー、困った。
もやもや考えてみます。
というかどういうふうに考えるかを考えられないんだけど。
こまったなあ。
かけそうでかきあぐねていること。
・「「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」の「獅子」は
ライオンではない」というはなし。
これはわりとどうでもいい。
答えはでたけど、ふーんって感じ。
・「ブスが自分のことを「あたしブスだからさ~」って言うのは
皮肉じゃないべ?」にお答えしましょう、というはなし
これは先がみえないです。
ニーチェ的な品性論から一回離れた方がいいやも知れません。
それと、「皮肉」の構造を考える必要がありますが、
これがかんたんじゃないんだよ!
コード化、脱コード化を理解しないといけないような…。
コミュニケーション論を頭の隅におきつつ、
(「コミュニケーションの目的は正確な情報の伝達ではなく、
コミュニケーションそれ自体である」というのと、「人間の営みは
すべてコミュニケーションである(意味的なものの持つ意味には
内的な意味と外的な意味があって、「人間」に関与せざるを
得ないんだよみたいなこと)」かな。)
情報の伝達の(不)可能性を考えておかないといけない気がする。
わかんねー!!
これに答えるよりも、「きみはブスじゃないよ」と百回くらい言った
方がよほどいいような気がする。
・どうしてイケメンになろうとする人間はイケメンになれないのか
これはちゃんと書けると軽重浮薄な世の阿呆どもに一撃を
与えることができるような気がする。
仲正昌樹さんが「〈リア充〉幻想」って出してたな…。
そのうち読みます。
四畳半神話体系は、ぼくももち、観てますが、
ああいう「肥大化した自意識」×「ダークサイド」みたいなのは
しかたないところがある。
でもそれでぜんぶではなくて、
結局高貴さというのは彼の権利の大きさによって決定されるのでは
ないのだということを想わないといけない。
そっちにこそ「義人」の道はあるように思うけれど、
大義と生活とを天秤にかけて後者をとるのは「悪」なのか、という
モンダイがいまだにわからない。
それが「還相」のことなんじゃないかとぼんやりおもう。
・「けいおん!!」には「できない」人がいない、というはなし
日常系の極北、もうそこから先にはいけないところってどういう感じかを
考えてみたいんだけど、たぶんそれは「作品」のレベルではなく
「キャラクター」のレベルになるはず。
でも、「キャラクター」は自足するわけではなく、たぶん「データベース」
からの「欠損」でしか表現されない。これは自信ない。今適当に言った。
そこまでいったときに、日常系における倫理というのはどういうものか。
これはぼくの勝手な考えだけど「キャラクター」に「人間」を見ていい
のか?
でも、日常系の楽しさというのは「ただ私にだけ開示されたそれの一
側面」がばらばらに誤読されていくところにあるわけで、その誤読を
許す「揺れ」みたいなものはそこに人間を見ているからだとおもうのね。
そこに倫理がありうる、はず。
「けいおん!!」を面白いというのはたぶんすごい無理のある話しで、
そこにはすごいトリッキーな、ダブルスタンダードがあるはず。たぶん。
どうかなあ。それは「製作者」の「矜持」、つまり二次創作が溢れる中、
そこにオリジナリティのあがき、みたいなものがあって、それと
対になってるんじゃないか。
・わからん、近代的個人というのをたてているのがすでにして間違い
かもしれない。
そう思ったから日本の無思想、たぶんそれは「世間」とおなじもの
だと思うんだけど、それを考えてます。
「世間」あるところ、「個人」も「社会」もない。
だから、ゾーエ(「ビオス=政治としての生」でないもの)、を考えるには
「世間」からせまることができるかもしれない。
まずは阿部謹也さんの著作にあたってます。
・それから、右傾化するネット、みたいなことが言われるけど
(それも地域差(っていうかしらんけど)があるとおもうけどね)
ナショナリズムの興隆はグローバリゼーションの反動だとおもう。
というのは、みなさんは「日本国」の実在性に固執しているのではなくて
(ここがミソ)、おそらくは「世間」の死守に躍起になっているのだとおもう。
「世間」という黄身・白身で「日本」が殻なんだとおもう。
ナショナリストは「日本」なんてどうでもいいんだよ。
「世間」が大事なのであって。
と、思うんだけど、これも阿部謹也さんを勉強してからだね。
ちなみにぼくはナショナリストではありませんがパトリオットではあります。
能登にある先祖のお墓がある風景をなくしてもらうわけには行きません。
それから「非国民」と「売国奴」は一致しないんだよというはなし。
ぼくは「非国民的」の疑いはあるけど「売国奴」ではありえない。
(そこまでの力がないから、というのもそうなんだけどさ。)
国境を越える企業の力を考えてみる必要もありそうね。
むつかしくてよくわかんないけど。
なんかぐずぐずだなあ。
まあおいおい。