「論語」の話7回、8回を読む | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

めでたい!

何がめでたいって、三日坊主を超えたことだ。

四日坊主は三日坊主の千倍偉い。

五日坊主は四日坊主の千倍偉い。


明日までは欠かさず読めるだろう。

今月末はちょっと忙しいのであんまり読めないけど。


7回。

孔先生の師弟論を少し。

「論語」は封建的な書物ではないよ、という回なんだけど、

ぼくが気になるのは特に師弟論である。


「子曰く、仁に当たっては師にも譲らず。」

「仁」、愛情の問題について、自分の主張が正しいと思ったら、

あくまでも主張すべきであって、先生にも譲歩してはいけないよ、

ということです。


吉川先生によれば、中国は現代においても、先生と生徒との関係は

とてもフレンドリーな面を保持しているんだそうだ。

先生への敬愛の内には友情みたいなものも含まれているのだ。


これが確認できただけでも大収穫。


次、8回。

孔先生の時代には、世はとても荒れていた。

そのエピソードがいくつかあるんだけど、それはまぁ読むだけでよい。


そんな荒れた世で、孔先生の理想主義がどうして生まれたのか。

その問いの答えは、なぜ先生のことばが人心を惹くのか、という問いの

答えと同じなんじゃないかな。


孔先生のことばは、とても強い。吉川先生は仰る。


たとえば、孔先生の自評、

「其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘れ、

老いの将に至らんとするを知らざるのみと」

その人柄は興奮すると食事さえ忘れる、いろいろ世の中に失望しつつも

常に楽観を持ち続ける、人間の可能性に楽観を持ち続け、楽観をもった

ときには憂いを忘れる、そして、「老い」のやってくるのを知らないのだ。


これを読むと、すごい魅力的な人物が浮ぶ。

楽しそう。


最後にもうひとつ、大事なところ。


「子曰く、疎食(そし)を飯(く)らい水を飲み、肱(ひじ)を曲げて之(こ)れを枕と

するも、楽しみ亦(ま)た其の中に在り、不義にして富み且(か)つ貴きは、

我に於いて浮雲の如し。」

先生は仰った、粗末な飯をたべて水を飲み、貧しい生活をしている

けれども、楽しいものがそこにもある。他方で、正義を外れたやり方で

財を成し、貴いとなっている者は、わたしにとっては、空に浮ぶ雲のように、

つまらないはかないものに思える。


すごいよくわかる、と思う。

まったくだと思う。



今日はここまで。