先日、ハーフパイプ日本代表の国母和宏選手(以下、国母さんと
呼ばせていただきます。)が服装の乱れを注意されるという問題が
ありました。
ハーフパイプ決勝戦の国母さんの結果は惜しくも8位入賞に終わり、
この一件も、そろそろ収束しつつあります。
しかし、国母さんがほんとうに間違えていたことについて、まだ誰も
語っていないのではないかと思ったので、ここではそのことについて
書きたいと思います。
あるいはもしかしたらそんなのトーゼンでしょってことでみんな
黙っているのかもしれませんが、それでも、わざわざ指摘します。
それは何かと言うと、国母さんの、「謝罪会見の目的」です。
国母さんはそれを決定的に取り違えていたのではないかと思います。
国母さんは、服装の乱れ、いわゆる「腰パン」を「だらしない」と
怒られたのでした。
そのとき国母さんはたぶん、「はあ?オッサン(かどうかわからないけど)
何言ってんの?俺がどんな格好をしようと俺の自由じゃねーかよ。
あんたにはカンケーねーだろ」って言いたかったろうと思います。
そんなことはない?
でもたぶん内心きっと心のどこか片隅の方ではいやもしかしたら
あるいはいくらかはないとは言い切れないかもしれないと割り切れず
揺れ動くためらいの感覚がどこからともなくやってきてわだかまっている
感じがしないでもないのではないかしらん、とぼくは思うんです。
それというのは、そのように考えた方が「どうして国母さんが謝罪会見の
場で「チッ、うっせーな」と言ったのか」が腑に落ちるからです。
「はあ?オッサン何言ってんの?俺がどんな格好をしようと俺の自由じゃ
ねーかよ。あんたにはカンケーねーだろ。」
ぼくは、これは半分正しく、半分間違っていると思います。
正しいというのは、「何言ってんのかわかんないオッサン」がそこにいて
はじめて「俺の勝手、俺の自由」が成立するのだということを言い当てて
いる点。
間違っているというのは、同じことですが、「あんた」との関係が絶えても
「俺の勝手、俺の自由」が持続すると考えている点です。
「何言ってんのかわかんないオッサン」と、潜在的にではあっても関係を
取り結んでいる限りで、「俺の自由」は機能する。
それを理解していなかったから、国母さんは「何言ってんのかわかんない
オッサンと縁を切ること」を謝罪会見の目的としたのです。
どういうことか、それを以下で説明したいと思います。
いわゆる「腰パン」は、その起源をぼくはよく知らないのですが
たぶんストリート発祥だと思います。
問題となった国母さんの当の服装は、本人が否定したとしても
(していませんが)現にぼくたちがなんの疑問もなくそれを「腰パン」と
呼んでいる通り、誰かがそれを対象化(問題としてとりあげるということ
です)するときにはどうしても、ストリート文化の系譜の末端に位置づけ
られてしまうわけです。そして、「国母さんの国母さんによる国母さんの
ための服装」という慎ましやかな閉じた環の上には、ストリートにおける
一般的な、あのウワサの「腰パン」の生きてきた経験が被せられること
になる。
国母さんの服装は、それがそれとして自体的に成立しているものでは
ありません。あれは、前代未聞、空前絶後の国母オリジナルなのでは
なくて、飽くまで流行の模倣であるに過ぎない。
これって、「自由な服装」どころか、完全に定型的な「不自由」ですよね。
これがファッションという現象の不思議なところだと思うのですが、
ファッションっていつもオリジナルではなくて、コピーでしかないんです
よね。
ファッションとは記号でありメッセージである。
ファッションは常に外部からもたらされる贈与に他ならない。
それはデザイナーにとっても同じです。
先史を持たないデザインは、誰もそれを「デザイン」として認識できない。
「ファッションはメッセージである」という知見は非常に重要です。
この知見は、以前ぼくも書いた、「メッセージは常に誰かに聞き届けられる
為に語られる」という指摘と組み合わせることで大きな意味合いを持ち
ます。「メッセージは常に誰かに聞き届けられる為に語られる」ということは
当然といえば当然ですが、しかし決して当然ではありません(どっちやね
ん)。
メッセージが「常に誰かに聞き届けられる為に語られる」ものである、
ということは、メッセージ、つまり「私の言いたいこと」は、それを「聞き届け
る」他者を介してしか与えられないということです。
レヴィ=ストロース先生は、
「人間は自分の欲しいものを、人に贈ることによってしか手に入れることが
できない」と仰いました。
それと同じことがここでも確認できます。
国母さんにとって、「服装の自由」ってどういうものでしょうか。
それは具体的には、好きなだけ多様なファッションを身につけること
ですよね。ファッションとはコピーでしかなかったのだから、国母さんに
先行する「デザイナー」が必要です。
では、国母さんとデザイナーの二人がいればそれでいいのか。
いいえ。二者関係(対幻想)から引き出される想像力ってたかが知れて
ます。それはまだまだ貧しいものです。
服装の自由、ファッションの豊穣さ、多様な想像力のテイクオフは、第三者
の登場と同時に到来する「共同幻想」の立ち上がりによって生起するの
です。
そして、この「事情を弁えない第三者」こそが、「メッセージを聞き届ける
他者」であり、また、あの「何言ってんのかわかんないオッサン」に他なり
ません。
国母さんに「腰パン」を贈ったデザイナーは、そのモチーフを遥かあの
「オッサン」から受け取ったのです。
だから、国母さんは服装(表現)の自由を手に入れたいと思うのなら、それ
こそをあの「オッサン」に贈らなければならない。
というのは、あらゆる贈与とは、「反対給付(おかえし)」だったからです。
(このことがよくわからない方は今回はちょっと余力がないので、ぜひ絵本
の『おかえし』という作品を読んでみてください。そのことがよくわかります。
絵本『おかえし』については以下のリンクも参照してください。)
□絵本ナビ「おかえし」の詳しい情報
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?No=622
しかし、国母さんはそうしませんでした。
謝罪会見における「チッ、うっせーな」という呪いを以って、「オッサン」を絶句
させ、コミュニケーションの回路を絶とうとしたのです。
ぼくは、話はまったく逆だと思います。
謝罪会見は、それによって当の国母さん自身が自由を得る為に、「オッサン
との交流の回路を持続させること」を目的としなければならなかったのだと
思います。
「あのーなんかだらしなくってスンマセンでした。「代表としての自覚」?つー
んですか、それをちゃんともって、これからは移動のときとかもスーツで
びしっと決めたいとおもいます。…あの、つまり改めます。」
とか言って、
(「オッサン」が国母さんに「だらしない」と言うことによって、それで
つまり何が言いたいのか、が国母さんにはよく理解できなかったとしても)
「オッサン」に向けて「確かに、あなたのメッセージは聞き届けられた」と返事
を返さなければならなかったんじゃないかと思います。
そのような「終らない努力」だけが、「ハーフパイプという競技の振興」であり
「腰パンファッションへの理解」であり、「国母さんの言うオレ流スタイルが
受け入れられていくこと」を導くのだと、ぼくは思います。
国母さん、どうでしょうか。